レヴェナント:蘇えりし者

2015年 アメリカ
監督:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトウ
出演:レオナルド・ディカプリオ

※ネタバレ有り

レオナルド・ディカプリオが、ようやくアカデミー賞をとった大作映画。
いろいろと、ツッコミどころはあるものの、
ここ最近観た映画の中では、がつんとくる重厚さでは一番かもしれない。
時間がたつと、じわじわっと来ます。

時代は、19世紀のアメリカ、
開拓民とインディアンとの戦争が起こっていた頃で
毛皮ハンターたちをインディアンが襲う。
そして、必死の逃避行となるのだが、
その途中で、ガイドのヒュー・グラスは熊に襲われ、瀕死の重傷を負う。
もうだめだと判断した隊長は、彼の最後を看取るために、彼の息子ともう二人の三人を残す。息子はインディアンとの混血だ。
その中の一人ジョンの裏切りにより、息子は殺されグラスは一人残される。
最愛の息子を殺されたグラスは、必死に這いつくばりながら、後を追う。

なので、本作は基本的には復讐譚ということになる。
また、壮絶なサバイバルストーリーでもある。

初秋のロッキーの大自然の中、
傷を火薬で焼き、川で魚を手づかみでとってはむさぼり食う。
インディアンに見つかり、逃れるために激流に飛び込む。
途中でフランス人の馬を盗み、逃げては谷に墜落する。
そして、馬の内臓をくりぬき暖をとる。
すべてが、痛く、壮絶なシーンの連続。それらは、また、荘厳に美しい。
這いながら移動するグラスの目線に合わせた低いカメラアングルが特徴的で
林に差す朝日の光、舞い散る雪、川の水流、すべてが至近距離に感じられる。

その美しく壮絶な光景に目を奪われている内に、
ややもするとストーリーを忘れそうになる。特に息子の復讐という一番基本的な骨格が、ああそうだったっけ、みたいな感じだ。
それはディカプリオの演技のせいもあるかもしれない。
これが、例えば、クリント・イーストウッドだったら(もちろん、もう少し若い頃の)、ケガをして動けなくとも目だけで、苦渋を表現できただろうし、
父親と息子との愛が心に沁みて、復讐ということがより強調されたのではないかと思うのだが、ディカプリオは、そうではない。あまり目で語るというような演技をしない。父性愛というよりは自分のことで、手一杯な印象が残る。
要は、あまり父親が似合わないのだが、かえってそのことにより
ドラマが排除され、人間の根源的な生存への意志がより明確になった気がする。

息子を失った喪失、というよりは、そんなことがあっても、必死に生きようとする人間の切実さや自然の理、みたいなもの。

この監督の作品を観るのは三作目だが、
前々作の「BIUTIFUL」にも通じる、独特な死生観というか人生観が印象に残る。

ラストで、おそらく昔亡くなったのであろう奥さんが出てくるのだが
なにか、死が身近にある感じ、そして静謐感のようなもの。
ネガティブなわけでも、あきらめているわけでもないのだが、
それでも死ぬのはしようが無い、みたいな。

その無常観というか潔さが、好きかもしれない。

サウルの息子

2015年 ハンガリー
監督;ネメシュ・ラースロー
出演:ルーリグ・ゲーザ

※ネタバレ有り

ゾンダーコマンドという、任務を与えられた囚人の視点で描いた
ナチスの収容所の物語。

ゾンダーコマンドの一人、
サウルはユダヤ人収容所で作業をしている。
ユダヤ人をシャワー室とだまして、ガスに送ったり
死体を片付けたり、彼らの荷物を分別したり、燃やしたり、埋めたり、
ステマチックに作業は進む。
昼夜を問わず、囚人を乗せたトラックはやってきて
ここでは、全てが効率を優先されている。

そのガス室で死んだ一人の子供が自分の子供であると思い込んだサウルが、その子にちゃんと祈りをあげて埋葬しようと奮闘するところから、物語は動き出す。

当然、ゾンダーコマンドとはいえ、そんな自由があるわけではなく
その中で、子供の死体を解剖医から貰い受ける手はずをつけ
祈祷してくれるラビを探してサウルはかけずり回る。

しかし、そのサウルの周りでは、囚人たちによる反乱計画らしきものが
進行しているらしく、緊迫感は増していく。

映画は、ほぼサウルの一人称視点で描かれている。
いわゆる、POVというわけではないのだが、
4:3の狭苦しい画面にサウルの顔や姿がアップで映され、
背景は、ごく一部しか映されない。
ほぼ全編にわたって、サウルが画面に映っていて
聞こえてくる会話も、サウルが聞いているものと同じだ。

なので、映画を観ている我々も、得られる情報は物語中のサウルと変わらない。
観客だからといって、神の視点を持つことはできない。

そのことによって、サウル同様に息苦しさを感じ、
断片的な情報に、耳をそばだてることになる。
そして、収容所の異常な空間をリアルに感じる。

やがて、反乱は起こり、
その中でもサウルは、息子を埋葬するために奮闘するのだが、
収容所から逃げ出す途中で、息子の遺体を川に流してしまう。

その子供の遺体が、果たして本当にサウルの息子なのか
判然としないまま、話は進むのだが
ラストのサウルの表情で、ああ、本当の息子じゃなかったんだと
気づかされる事になる。
その表情が、とても救いがなく、ちょっと怖いです。

カンヌでグランプリを取っているのだが、
この視点の新しさというか、尋常ではない緊迫感と息苦しさが評価されたのかと思うが、ナチスによるホロコーストは、まだ風化してないんだなと気づかされる。
気力が充実しているときに観る映画のように思います。

クリーピー ~偽りの隣人~

2016年 日本
監督:黒沢清
出演:西島秀俊竹内結子香川照之、他

クリーピー 偽りの隣人」という、

火曜サスペンスのようなやる気のないタイトルから、
サスペンス映画かなと思っていたのだが、
これが、まじホラーでした。しかも、かなり怖い。

なんといっても、香川照之につきますね。
西島秀俊竹内結子演じる高倉夫婦が転居してきた家の隣人、
西野として登場するのだが、まずその登場シーンがすごい。
 
二人で挨拶にいっても、いつも返事がない。
で、次の日の昼間、妻が一人で行くのだが、またも返事がない。
それで、しょうがなく、挨拶の品を門にかけて帰ろうとする。
すると、奥から、いきなり声がかかる。
「何ですか」
驚いた妻が「すいません。いないと思ったものですから。隣に越してきたので
そのご挨拶に・・・」
「いや、私は何ですかって訊いたんです」
「ああ、これですか、チョコレートです・・・」
「チョコレート?一粒千円もするようなものがあるらしいですね」
「いえ、そうじゃありませんけど」
「私、チョコレート嫌いじゃないですよ」・・・・・。

たしか、こんなやりとりの登場シーンなのだが、まず歩き方が、妙だ。
ひょこひょこと、ぎこちなく妙なリズムで歩く。
しゃべり方も、威圧的なのだが、なれなれしい。
そして、絶妙に会話になっていない。ずれているのだ。
この辺の気持ち悪さ、ここだけで、すでに相当怖い。
この人は天才なんじゃないだろうか。
尋常ではないサイコパス感が満載だ。
このシーンだけでも、この映画を観る価値がある気がする。

そして妻は西野に厭な感じをいだくのだが、
なんとなく、家にはいりこまれ、徐々に支配され
マインドコントロールされていく。

どうやって、支配されていくのかについては、実はあまり説明はない。
この人の映画は、たとえば「CURE」にしても、「回路」にしても
なぜ、というのはあまり説明されない。
ただ、現象として人が殺人鬼になったり、異界から何者かがやってきたりする。
その現象の周辺や不穏な雰囲気は周到に描かれるので、
観てる側としては、特に違和感もなく、納得する。
因果関係に踏み込まないことが、リアリティを生み出している。

本作も、西野の断片や、過去の事件の断片などによって
ああ、西野はなんらかの人を操る力を持っているのだと納得させられる。
そういう、ある種人智の及ばない存在としての西野が秀逸だ。

舞台となっているのは、東京都稲城市
このロケーションも、また絶妙だ。
都市でもなく田舎でもなく典型的な郊外なのだが、
きれいな分譲地でもなく団地でもない。
全く手入れされていない空き地や、廃材置き場と並んで普通な住宅があるような、荒廃と普通の生活が混在している世界は、サイコパスが潜んでいるに相応しい。

ラストはあっけなく唐突に、終わる。少々雑な感じだ。
しかし、その雑でバランスの悪い感じが、本作にふさわしいのかもしれない。
ただ個人的には、別に決着させなくても良かったんじゃないかという思いもある。
もっと、ぼんやりと終わっても。
でも、解決させなかったら、後味悪すぎだっただろうか。

パーマネント野ばら

2010年 日本
監督:吉田大八
 
 
いやあ、油断してました。
まさか、あんなラストが待っていようとは。
 
何の予備知識もなしに見始め
正直、途中まで、なんかどうでもいいような話だなあと適当に流していた。
小池栄子が、若いなあとか、池脇千鶴はやっぱりいいなあとか、
田舎で幸せを求めてあがく女性をあたたかく見守った
少しファンキーな脱力系のコメディかと思ってました。
 
話は、実家の美容院「パーマネント野ばら」に子連れで出戻ってきた
なおこ(菅野美穂)とその友達や町の人たちを描く群像劇。
なおこは、教師をしているかしまと付きあっているが、
かしまは、のらりくらりとして、何を考えているのか、よく分からない。
友達のともちゃん(池脇千鶴)は、男運が悪く、
やっと見つけた暴力をふるわない旦那もギャンブルにはまり、失踪したあげくのたれ死ぬ。
みっちゃん(小池栄子)は、フィリピンパブのママさん、
だが旦那は店の女の子と浮気を繰り返している。
そして、ろくな男がいないと愚痴をこぼす、町のおばちゃんたち。
町に1軒の美容院野ばらは、そんな女たちのたまり場だ。
 
ここには、幸せな人間なんかひとりもいない。
ただみんながそんな境遇に負けまいと、たくましく、笑いながら暮らしている。
そこでのおもしろおかしいエピソードを積み重ねながら
女性が誰でも持っている切ない恋心と、
しあわせになろうともがく姿を描いていく。
 
そして、ラストの大どんでん返し。
いままで、明るく輝いていた裏側の闇が、どろっと溢れ出てくる。
え、そういう話だったんだ、と。
でも、その溢れ出した闇も世界を覆う訳ではない。
誰だって闇のひとつやふたつは抱えているんだし、
世界は、あいかわらず、おばちゃんたちのたくましさに支えられている。
 
ついでに原作のマンガも読んでみたが
マンガの方が、もっとファンキーでディープな世界でした。

10 クローバーフィールド・レーン

2016年 アメリカ
 監督:ダン・トラクテンバーグ
出演:メアリー。エリザベス・ウィンステッド他
 
※ネタバレ有り
 
 クローバーフィールドの続編らしいのだが、
残念ながら、クローバーフィールドは見ていない。
なんとなく、地球を侵略しに来た異星人との戦いを描いた映画ということは
知っているのだが。
 
さて、本作であるが、ある女性が車を運転中、異変が起こり
気がついたら地下室らしきところに監禁されていたというところから物語ははじまる。(ちょっと、「シグナル」という映画を思い出しました。本ブログでも紹介してるけど)
 
監禁した張本人らしき、太った男は、ここはシェルターで
外は異星人に襲撃されて大変な事になっている、という話しをする。
それで、おまえを助けたんだから、感謝しろ、
俺が車で事故ったおまえをここに運んだから、生きていられるんだと。
とにかく、外は異星人の毒ガスだかウイルスだかで
人がみんな死んでいる。だから、外に出ることはできない、という話。
 
果たして、その話は本当なのか、あるいはタダの変質者で
誘拐監禁されただけなのか、というのが9割方のメインプロットだ。
 
そして、その判断は二転三転する。
そんな話は嘘で、ただの変質者に違いない→話しは本当だった、ただの親切な人だった→やっぱり怪しい、手の込んだトリックなんじゃ? と。
 
事実が段々と明らかになり、新たな証拠が出てくるたびに判断が変わる。
この辺の展開は、とてもスリリングだ。
なので見る側としても、クローバーフィールドの続編だしなあ、と思いつつも
実は、それは、ただの背景で、変質者の仕組んだトリック映画なんじゃないだろうかという疑念も生まれてくる。
 
そしてラストに近づく頃、主人公は外へ出ることに成功し、事実が明らかとなる。
その事実がなにかはここでは、触れないが、
最後に主人公が、荒天の空の下、地平線にむかって車を走らせる感じが
「タームネーター」のラストのようで、よかった。
ただのB級低予算映画かと思いきや、なかなか面白かった。
 
 
 
 

ラ・ラ・ランド

2016年 アメリカ
監督:デイミアン:チャゼル
 
※ネタバレ有り
 
 さて、いまさら、ラ・ラ・ランドであるが、
音楽は最高、でも話しは、うーんどうだろう。
アカデミーの作品賞候補でもあったわけだが、そんな映画ではないような・・・。
 
基本的に、この映画は、くるくる動くエマ・ストーンの表情と
音楽を楽しむ映画であって、それ以上ではない。
まあ、だからといってさほどけなしているわけではなく
そういう映画だと割り切れば、それなりに楽しい映画でもある。
こういう映画こそ、爆音上映会とかやればよいのでは、と思う。
 
しかし、ストーリーは、まあかなり雑だ。
いろいろな恋愛映画の分かりやすいエッセンスだけを寄せ集めたような作り。
ジャズミュージシャン志望のセバスチャン(ライアン・ゴズリング)と
女優志望のミア(エマ・ストーン)のラブストーリーなのだが、
ラブストーリーだということは、分かるのだが、そのすれ違いの理由とかが、よく分からない。
 
セバスチャンが、自分のジャズ指向を押し殺しコマーシャルなバンドで成功を得る。それに対し、ミアが、不満を持つのだが、その理由がよく分からない。
「自分の夢を捨ててなにしてるの!」みたいに怒るわけだが、いったい何を怒っているのか。夢と金儲けとどっちが大事。私のために夢を捨てるなんて、私望んでない。みたいなことと、想像するのだが、どうもそのプロセスがよく分からないのだ。そもそも、ジョン・レジェンド(!)率いるバンドの音楽と、セバスチャンの目指す夢との違いってなんなんだ。
セバスチャンの夢って、ジャズクラブのオーナーになること?
だったら、バンドで成功して、そのお金でジャズクラブやればいいだけじゃん、だし。バンドの音楽だって、そんなにかっこ悪い訳ではないし。
ジャズクラブのオーナーになることと比べて、良くないことなのか?
なんか、テーマに合わせるために、無理矢理すれ違いにしたかっただけじゃないの、とかって思ってしまう。
 
だから、このシーンは「愛する女性を養っていくために夢を捨てた男とそれを理不尽にも許せない女」という構図を、ただ、強引に作っているだけのように見えてしまうのだ。それは、全てのシーンが同様で、恋愛映画にある出会い、挫折、すれ違い、立ち直り、成功、別れ、というようなありがちなテーマに強引に物語を引き寄せているだけ、という居心地の悪さ、作り物感を感じてしまう。
 
まあでも、音楽は最高だし、特にメインテーマは名曲だと思います。
筆者は、あのテーマ曲を映画館の大画面で大音響で聴きたかったので、
それなりに満足でした。

ゼア・ウィル・ビー・ブラッド

2007年 アメリカ
監督:ポール・トーマス・アンダーソン
出演:ダニエル・デイ=ルイスポール・ダノ

※ネタバレあり

この監督の映画を観るのは、「インヒアレントヴァイス」以来の2回目。
なんというか、重厚なドタバタコメディのよう。
こってりとエネルギッシュで、過剰な狂気にまみれている。
スコセッシとキューブリックを足して2で割ったような、といったらほめすぎか。
さらにいえば、そこに筒井康隆も入っている気が。

さて、その本作は、20世紀初頭のアメリカで石油にとりつかれた山師が成り上がっていく物語。主人公は、ダニエル・デイ=ルイス演ずるダニエル。彼は、成功のために手段を選ばない。そして、周りの人間を踏みにじって成り上がって行く。

主に3人の人間との関わりの中で話は進んでいく。

まずは、息子のHW。
息子といっても、かつて炭鉱の事故で死んだ仲間の忘れ形見。
小学校の低学年くらいのHWをいつも連れて、ダニエルは商売をする。
その方が、客受けが良く、そして誠実な人間に見られるから。
しかし、それだけを考えて行動する冷酷な人間という訳でもない。
ダニエルとHWは、ある種同志のような絆で結ばれていて深い信頼関係がある。
そしてダニエルは、HWに石油ビジネスを叩き込もうとする。
優秀なHWは、それに応えようと頑張る。

二人のタッグで、ダニエルは石油の出そうな土地を手に入れる。
土地の所有者は、貧乏な牧場主で、
その牧場主の息子で教会を主宰するイーライに資金を提供することを約束に
採掘権を手に入れるのだ。このイーライが二人目の人物。
イーライは牧師として、何かにとりつかれたようなカリスマ性を発揮し、地元では絶大な信頼を得ている。しかし、宗教などこれっぽっちも信じないダニエルはなにかにつけ、反目する。もくろみ通り、石油が出たあとも、ダニエルは約束通りの寄付をしない。そして、催促に来たイーライを痛めつけて追い出してしまう。

石油は出たものの、事故でHWはケガをし、聴力を失ってしまう。
二人はコミュニケーションがとれす、話しの通じないHWにダニエルはいらつくことが多くなり、HWもだんだんと変調を来すようになる。

そこに現れたのが、ダニエルの弟だという、ヘンリー。
彼が現れるとの入れ替わるように、ダニエルはHWを町の家庭教師のもとへと追いやってしまう。そして、いきなり現れたヘンリーを怪しいとは思いながらも、相棒として、ビジネスを進め、だんだんと後継者のように思っていく。

しかし、あることから、ヘンリーがニセモノであることが発覚し
命乞いをするヘンリーを殺してしまう。

そして、さらなる成功への道を突き進むのだ。

やがて、年月はすぎ、成功者としても地位を確固たるものにしたダニエル。
家には、なんとボーリングのレーンも備わっている。

ある日成人したHWは、自分も石油ビジネスで独り立ちしたいとダニエルに申し出る。そして、普通の親子関係に戻りたいと。しかし、ダニエルはそれを聴くや激怒し、口汚く罵倒しながらHWを勘当してしまう。

そして、毎日飲んだくれるダニエル。
そんな彼の元を金に困ったイーライが訪れる。
ダニエルの土地に隣接する土地の採掘権を自分は交渉できるから、資金を援助して欲しいと願い出る。そのイーライに対して「自分は偽予言者だ、神は迷信だ」と何度もいわせたあげくボーリングのピンで撲殺してしまう。

このダニエルの人物造形が、すべてといってもいい映画なのだが。
このダニエルという人間、それほど分かりやすくはない。

とても熱い魂を持ち、自分の身内に対しては際限のない愛情を注ぐように見えて、
なにかのきっかけでその全てを自分で破壊してしまう。
そのきっかけは、分かりやすく言えば、裏切りであったり
あるいは、自分の思うようにいかなかったからということになるのだろうが、
そこにあまり明確な論理はなく、ダニエルにしか分からない何かなのだ。
嫌いなものは嫌いで、好きなものも、長続きせずいつのまにか嫌いになっている。
そして、少しの裏切りや間違いも許すということはできず、
一度許せないと思った人間は、二度と元に戻ることがない。
非常に人間的な魅力にあふれているのに関わらず、
ダニエルは、そういう精神的な病というか業を抱えている。
独裁者とか、ヤクザの親分とか、企業の創業者とかに見られる、ある種の典型のようでもある。
だから、これは、成り上がり者がやがて孤独に苦しみ没落していくという映画ではない。彼は孤独に苦しみなどしないし、ただ自分の行動原理に従い、成功し、破滅するだけだ。その姿は、いさぎよく、痛快だ。

タイトルは「いずれ血に染まるだろう」という意味らしく
石油ならぬ血にまみれるというダニエルの生き様を皮肉ったもの。
邦題をつけるなら「血塗られた道」というところか。

あと、音楽はレディオヘッドのギター、ジョニー・グリーンウッドが担当。
こちらも、かなりこてこてに主張している感じが、演出とマッチしてグッドです。