2018年2月映画日記 (1)

2月の映画日記、
ネタバレ有りです。
 

ドクター・ストレンジ

2016年 アメリカ

ザ・アメコミヒーロー物ですね。
主人公が、ヒーローになるまでと、世界を救う活躍が破綻無く描かれる。
しかし、この映画を観ているとアメコミの絵が想像できる。
おそらく、コミックの構図のママに撮影されたんだろうな、と。
でも、それは映画がコミックを真似たというよりも
アメコミ自体が、映画のコンテのように描かれているということなんでしょう。
日本の漫画とは、そこの立ち位置が違うというか、
発想の仕組みが違うというか。
だから、映画にしたときの劣化が少ないのかも。

トリコロール/白の愛」
1994年 フランス、ポーランド、スイス
トリコロール三部作の三作目。今度のテーマは「博愛」らしい。
主人公と盗聴が趣味の引退した判事との関係が軸だが、
テーマ性がそこまで明確ではない。
そもそも「博愛」という概念からして難しい。
しかし、その抽象性の中に浮かび上がってくる感情、言葉のやりとり、行動。
ラストで、主人公の無事をTVで確認する判事の心情や、
そこから浮かび上がってくる、思いやりのようなもの、それが心地よい。
主人公は「二人のベロニカ」の女優さんだが、
彼女の雰囲気がいいのかも。

「ハーモニー」
2015年 日本 
伊藤計劃の3つのアニメ作品の中では、一番まとまっているかもしれない。
ここに描かれているのは、人類の終末だ。
なぜ、終末へと向かうのか。それは、身体を管理されることを受け入れたから。
それが、生物種としての根源的なエネルギーを奪ってしまうからだろうか、
訪れるのは、とても静かな終末だ。
静かで平穏で、悩むこともない世界。
それは、とても魅力的なので、
この終末が、絶望なのかどうかよく分からなくなってくる。

「スノーデン」
2016年 アメリカ
実話をもとにした映画。こういう映画を見るとアメリカという国は
度量が大きいのだと思う。まあ、しかし、あえてガス抜きのために
許容しているのだと、うがって考えることもできる。
だが、実際問題としてスノーデンの告発は何かを変えたのだろうか。
なんか、貴乃花とだぶる。

「予兆 散歩する侵略者
2017年 日本
人類の未来よりも、自分の夫の腕の痛みの方が重要、
というモチーフは面白いのだが、それを生かし切れていない気がする。
しかし、なんで、このキャスティングなのか?
染谷将太東出昌大、しかも東出が人間を理解しようと考える宇宙人となると
どうしても、「寄生獣」とイメージがかぶる。
演技もほぼ一緒だし。

麦秋
1951年 日本
小津が自分のスタイルを作り上げてから間もないわりと初期の映画。
しかし、そのスタイルは本作で既に完璧に確立されている。
原節子演じる紀子とその家族が描かれる。
紀子は家族の反対をおしきり、子持ちバツイチの幼なじみとの結婚を決める。
それは、新しい時代の到来を意識させるが、
新しい時代とは、つまり旧い時代の終焉でもある。
それが、家族というものの移り変わりを際立たせていく。
結婚し、子供をつくって、その子供が大きくなり、独り立ちし家を出て行く。
そして子供にも子供が出来、親とは別の人生を歩んでいく。
やがて、家族はばらばらになり、親は死に、家族は移り変わっていく。
それは、古来から延々と繰り返されてきた、人の営み。
避けることの出来ないことなのに、でもそれはどうしようもなく寂しい。

2018年1月 映画日記

1月に観た映画の雑感をまとめてみました。

ネタバレ有りです。

 

「何者」
2016年 日本
原作は、あまり好きな小説ではなく、
映画も好きになれない感じだったが、途中からは結構楽しめた。
おそらくこんな大学生は存在しない。
大学生は、もっといいかげんで、こんなに無防備ではない。
しかし、これはまあ、作者の作り出したフィクションであるし、
あくまで作者のリアルでしかないのだから、それはそれだ。
若者特有な頑張りすぎることによる痛々しさに対する、過剰な拒否反応、
それは何も生まない、という普遍的な真理。
ラストのどんでん返しをどう表現するのかと思ったが、
映画にすると結構普通な表現になった。
演劇的な要素を持ち込むことによって
ちょっとがんばったかなと言う感じ。
 
 
「エレニの帰郷」
2008年 ギリシャ、ドイツ、ロシア
エレニと二人の男をめぐる三角関係、
そしてエレニの息子と娘の物語。
第二次大戦が終わり、ソビエト社会主義体制が崩壊する中で翻弄される3人。
おおまかなあらすじは分かるのだが、細かな背景説明はなく
象徴的な場面の連なりによって物語は進んでいく。
スタジオに落書きされた天使の3番目の翼、
屋上からまかれる詩がかかれた無数のビラ、等など。
その一つ一つのシーンから、生きるということの悲しみがあふれてくる。
無音のエンドロールも、余韻がすばらしい。
 
 
1985年 日本
監督、伊丹十三の奥さんに対する愛情とか
映画に対する愛情があふれた良い映画でした。
宮本信子のかわいらしい魅力が満載です。
 
 
「400デイズ」
2015年 アメリカ
地下での宇宙飛行士訓練中に地上では天変地異が起こり
人類滅亡か、という映画。途中、人肉食を連想させたり
結構えぐい話になるのだが、ラストは、あれ、それも含めて訓練だったの、いやいや。というところで終わる。なんというか、物足りないというか、ずるいというか。
 
 
傷物語
2016年 日本
まあ、いつもの化物語シリーズではあるのだが、
劇場用のせいか、やや間延びした感じも。
3部作ではなく、2部作でよかったのではと思う。
 
 
1961年 アメリカ
オードリーは魅力的だし,ムーンリバーもよい曲だと思うが、
話は、人生で何が一番大切かに最後で気づく、という
まあよくあるハッピーエンド物語。
にしても、昔の映画って設定がきわどいというか、
本作も主人公は娼婦らしいし、彼氏もマダムのお相手をしてお金をもらっている。
アパートの鍵貸します」とか「月曜日のユカ」とかも
よく考えると、なかなかではないか。
 
 
「スターシップトルーパーズ」
1997年 アメリカ
イケメンと美女ばかりの青春ストーリーという
フレームで描かれる昆虫型宇宙人とのグロテスクな戦い。
このいびつさにつきるんでしょうね。
昆虫宇宙人のCGはすごいが、それ以外は徹底してB級。
戦争に対するシニカルな表現も結構あるが、
そこまで、戦争批判というわけでもなく、
とにかく徹底的に悪ノリしてみました、という映画。
その徹底さ加減がなかなか痛快。
 
 
「キャビン」 
2012年 アメリカ
脳天気な大学生男女5人、山奥のへんぴな別荘、
湖でのバカンスという、ホラーの定番ともいうべき
シチュエーションを用意しながら、
そこに、観られる側(大学生5人=ホラー世界)と
監視する側(謎の組織=現実世界)という
メタ的な二重構造を持ってきた異色作。
監視する側は、ホラー映画を鑑賞する我々観客のメタファーであり、
最後は、観られる側(ホラー世界)が
監視する側(つまり我々観客)に復讐するという痛快な作品。
随所にホラー映画へのパロディやオマージュがあふれ
ホラーへの愛を感じさせる。
 
 
『オール・アバウト・マイ・マザー』 
1999年 スペイン
少し変わったテンションの映画。
息子が事故で死に、別れた夫を探しに行く母親の話しなのだが、
かつて暮らした街で出会う、ゲイや、舞台女優、そのアシスタントのジャンキー、
慈善事業を行うシスターなど、癖のある女ばかりがでてくる。
そんなマイノリティを見つめる視線は温かくていいのだけれど、
それで、結局何?みたいな気持ちになる。
 
 
「昼下がりの決斗」 
1962年 アメリカ
ペキンパーの初期作品。
暴力は特に描かれず、むしろ、ヒューマンな作品という印象。
登場人物のやりとりとか、人間愛にあふれたジブリアニメのよう。
ラストで、主人公の二人が、銃弾の雨のなか、
悪人に立ち向かって颯爽と歩いて行く姿がちょっと格好よかった。
 
 
トリコロール/白の愛」
1994年 フランス・ポーランド・スイス
トリコロール三部作の二作目で、テーマは「平等」らしい。
しかし、内容は平等というよりも「目には目を」だ。
妻から離縁され追い出された男が、妻を罠にはめ、
自分と同じ苦しみを味あわせる。
その背景には愛があるから、なんとなく許せるが
でも、それってどうなのって感じです。
 
 
2015年 アメリカ、カナダ
美しい映像に彩られた王道のゴシックホラー。
ただ、デルトロさんの映画は、綺麗すぎて
筆者的には、もっと闇を掘り下げて欲しかった感も。
「パンズラビリンス」は、あんなに、よかったのに。
浴槽の亡霊とか、吹雪の中を助けに来るとか
随所に「シャイニング」へのオマージュ?らしきものもあった気がする。
ベースとなっているのは「青ひげ」なんでしょうけど、
ラストの展開とか、日本昔話の山姥を思い出しました。「三枚のお札」かな?
山姥が鉈だか、刀だか持って追いかけてくるやつ。
 
 

勝手にふるえてろ

2017年 日本
監督:大九明子
出演:松岡茉優 他
 
※ネタばれあり
 
松岡茉優演じる、ヨシカが全編にわたり
泣いて笑って、妄想し、毒づいて、叫びまくり、
勝手に有頂天になって勝手に落ち込み、自爆する、
という感情が暴走するジェットコースタームービー。
いやあ、約2時間の映画なのだが、ああこれで終わりかと
残念な気持ちになったのは、久しぶりかもしれない。
 
なんといっても、この映画の魅力はヨシカというキャラクターの人物造形。
中学からの片思いを妄想するだけの、
コミュニケーション下手で自己肯定感の低い女子。
となったら暗い、地味、挙動不審というようなワードが並びそうなものだが、
ヨシカは、妙にエネルギッシュで、結構お洒落だ。
変なことや人には的確にツッコミを入れることもできるし、
世の中一般の、「暗い」というのとはちょっと違って、ださくはないのだ。
このアンバランスで、矛盾をたくさんはらんでいる感じが、リアルだなあと思う。
類型的でなく、枠に収まらない感じ。
実は、そんな枠にはまる人なんてこの世界には存在しないし、
だから、この映画は、誰もが共感することができる。
 
松岡茉優が、WEBのインタビュー動画の中で、
「年上の人にも、今の若い人のリアルを感じてもらえるんじゃないか」
というようなことを話しているのだが、それは彼女の誤解だ。
このリアルは全ての世代、男女を問わず共通するもの。
おじさんも、おばさんも変わりはしない。
 
こじらせ女子、という言葉もあるようだが、
この映画は、そんな言葉を吹き飛ばすパワーを持っている。
そんなレッテルを貼って理解した気になるばかばかしさ。
もっと、人間は不可解で、多面的で、予測不能だ。
居場所や相手によって、自分は変わるし、
どうでもいいような一言で、感情は動く。
どうしてそうなるなんてことは、自分にだって分からない。
最後にヨシカが選んだことが正解なのかどうかよく分からないけれど、
そこも含めて圧倒的な肯定感がここにはある。

 

2017年 ベスト映画

ちょっと気が早いけれど
今年観た映画のベストを選んでみました。
今年公開ということではなく、
私が今年観た映画のなかで、面白かったものなので、
古い名作もまじってますです、はい。

まず、ベスト3は。

1.「ブレードランナー 2049」

2.「マジカルガール」

3.「わらの犬


この3本は、文句なし。
当ブログでも紹介してるけど、
どれもびっくりするくらい面白い映画。
観てない人はぜひ。


以下、次点を順不同で。


この世界の片隅に
観たことのない昔の生活の描写に目を奪われる。
そして、その新鮮さが、主人公の視点と重なり、
いつのまにか、引き込まれてる感じ。

「BIUTIFUL ビューティフル」
話は悲惨で壮絶なのだが、妙にポジティブで暗さはない。
主人公は問題が解決しないまま死んでしまうのだが、
解決するだけが価値がある、というものでもないな、と思う。

「キャロル」
ルーニー・マーラケイト・ブランシェット
という二人の女優の魅力が満載。
ふたりの自信満々で無敵な感じとか、
野心的な表情とか、とっても素敵です。

「ゼアウィルビーブラッド」
当ブログでも取り上げているが、過剰な狂気がいいです。

「バリーリンドン」
まあ、キューブリックなので、良いのは当たり前。
学生時代に名画座で観て、寝落ちして以来ですが
こんなに、面白い映画だったんだと感動です。
「シャイニング」「時計じかけのオレンジ」の次くらいかな。

「さざなみ」
シャーロット・ランブリング主演。
綺麗な人は、年取っても魅力的、そういう映画です。

クリーピー 偽りの隣人」
こちらも当ブログで、とりあげてますが、
香川照之の怖さがすごい。

キングスマン
悪趣味でやり過ぎているのに、
上質なエンターテイメントになっている。
日本じゃ、あと百年たっても作れない傑作。
レイナードスキナードの延々と続くギターソロをバックに
殺戮が続くシーンにはビックリ。

「レヴェナント 蘇りし者」
こちらも、当ブログで紹介済み。
ディカプリオが、はまっているんだか、はまっていないんだか
よくわからないけれど、その微妙な感じが生み出す
浮遊感みたいなのがよかったのかも。

「カジノ」
さすが、スコセッシ&デニーロ、という映画。
ディカプリオの「ウルフ・オブ・ウォールストリート」と双璧をなす、
はちゃめちゃな栄枯盛衰一代記。でも、こちらの方が貫禄がある。

「セールスマン」
こちらも当コラムで紹介済み。
ああ、人間ってこんなに冷たい表情ができるんだ
と思いました。冷え冷えとして怖いです。

ふたりのベロニカ
同姓同名の二人の女性をめぐるミステリアスな物語。
全編を覆う悲しみと喪失感が、美しい音楽とあいまって
素敵な世界を作り上げてます。

「ひつじ村の兄弟」
老いた兄弟の確執の物語。
ラストは救いなのか、救いじゃないのか。
みっともなくて、おかしくて、じたばたして、そして悲しい。

「雪の轍」
トルコのカッパドキアでホテルを経営する男とその妻と妹の物語。
彼らは、相手に対する寛容性を持たずにお互いを批評する。
その批評は、鋭いのだが、それは何も解決せず、何も生み出さない。
ただ悲しみだけが、浮き上がってくる。

「ブルックリン」
こちらも当ブログで紹介済み。
ニューヨークとアイルランドで揺れ動く主人公の恋を描く。
最後の決断はとてもリアルで、そしてほろ苦い。
なんか、心の奥底に隠していた恥ずかしい過去の記憶を
ひきずりだされた感じです。

君の名は。
とてもよくできたタイムトラベルもの。
記憶を失うということの恐怖とせつなさをエンジンに
ラストまで一気に突き進む疾走感が素晴らしい。

アスファルト
フランスのとあるマンションを舞台とした
3つのオムニバスストーリー。
人とつながることへの渇望が心に響きます。
人生、つながってなんぼ、ですね。

「獣は月夜に夢を見る」
こちらも、当ブログで紹介済み。
こういう、せつない話、結構好きです。

ナラタージュ

2017年 日本
監督:行定勲
出演:有村架純松本純、坂口健太郎

※ネタバレ有り

松潤有村架純ということで、どうなのかなと思いつつ観たのだが
どうしてなかなか、面白かった、というか心に残る映画であった。

高校で孤立していた工藤泉(有村架純)と、
それを救う演劇部顧問の教師、葉山(松本潤)、
泉が大学生になってからの再会からはじまる官能的なラブストーリー。

泉は、学校で居場所を無くし、死を考えるほどの孤立感に苦しんでいた。
彼女に、居場所を与え、守ったのが葉山だ。
毎日のように葉山の研究室を訪ね雑談することが日課となり、
泉は立ち直っていくとともに葉山に恋心を抱くようになる。

あるとき、泉がいじめ?によりプールに制服のまま飛びこむのだが、
葉山はその監督教師にくってかかる。
「工藤は、そんなことをするやつじゃない!あんたは、ちゃんと見てたのか」と。
葉山の泉を守ろうとする気持ち、大切に思う気持ちに嘘はなく、ストレートだ。
再会後も、風を引いた泉を見舞い、献身的に面倒をみるし、
そこには、本当の好意があるように思えるのだが、
精神に変調をきたした末に別れた妻がいるからなのか、
葉山は自分の気持ちを泉に明かさない。

自分への明らかな好意を感じつつも、それを明確にしない葉山に
泉は、だんだんと囚われていく。
葉山が妻との関係をどうすべきか悩む場面で泉はいう。
「私になにか出来ることはありますか?
出来ることがあるなら、何でもします」と。

このチャンスに関係を深めたい、自分のもとに引き留めたい、と考える女の計算、
「そんなこと言っちゃだめだよ」といいながら、まんざらでもない男の気持ち。
この辺の生々しさが、清純そうな有村架純によって演じられることが、
結構ぐっとくる理由なんだろうと思う。

この映画の魅力は、その辺の見せ方がとても上手いのだと思う。

風邪をひいた泉を葉山が見舞い
リンゴのすりおろしを「あーん」で食べさせるシーン。
最初はいやがりながら、なんとなく、そのスプーンを口に含んでしまう泉。
含んでしまった後で、スプーンを受け入れたということが、
なにか淫靡な事のような気がして、急に恥ずかしくなり目をそらす。
その微妙な気持ちの動きの表現だったり。

でも、これは、役者の演技が上手いというよりも
演出が上手いのだろうと思う。
おそらく秒単位の指示に従っているだけなんだろうな、という気がする。

しかし、それを言われるがままに忠実にこなしている優等生な有村の姿が
愛する人の前でのけなげな態度とかぶる。

それがあいまって、生み出される官能。
どこまでいっても、支配と従属の雰囲気がつきまとってくる。

物語全体の骨格は、唐突な部分も多いのだが、その辺はおいといて
細かな演出を美しい映像で楽しむ映画という気がします。

余談になるが、葉山の部屋にDVDがあり、
その中に「ダンサーインザダーク」があるのを、泉が見つけ葉山に問う。
「これ好きじゃないって言ってましたよね」と。
それに対して葉山は「それは妻のものなんだ」と答える。

葉山が、まだきちんと妻と別れていなかったことを知るという場面なのだが、
それにしても、よりにもよって「ダンサーインザダーク」ってと思う。
これだけで、妻が一筋縄じゃ行かないということが分かってくる。
原作者か監督かは知らないが、結構意地悪なんだなと思いました。

獣は月夜に夢を見る

2014年 デンマーク・フランス
監督:ヨナス・アレクサンダー・アーンビー
出演:ソニア・ズー
 
※ネタバレ有り
 
 
デンマークの寒村を舞台とした狼少女の物語。
 
大人になりかけつつある少女マリーは
体に異変を感じ、病院にいくのだが、原因は判然としない。
家では、車イスに座ったきりの母親を父親と介護する毎日。
そして、母親の過去のことが、だんだんと明らかになるにつれ
自分が、ある種の怪物であるらしいことが分かってくる。
 
村人もそのことを知っているらしい。
母親も怪物であり、過去に起こした惨劇によって
薬によってその獣性を押さえているだけだということを。
 
そして、悲劇は起こり、マリーは働き始めたばかりの
魚の加工工場でも、迫害を受けるようになる。
唯一の救いは、マリーに好意を寄せるダニエルの存在。
 
しかし、迫害はエスカレートしていく。
 
マリーは、怪物であり、そのことを村人も知っている。
そして、その獣性が目覚めたことが知られたら、
もう、マリーが村で人々と共存することは不可能だ。
 
生きるために、戦うのか、それとも
好意を持ってくれているダニエルとどこかへ逃げるのか。
そして母親と父親のように、暮らすのか。
ダニエルは、そう言ってくれているが、
それは、希望なのか?
 
だから、この物語は、どこへも向かわない。
どこにも希望はなく、どこへも向かいようがない。
ただ、狼少女の獣性が本能のままに爆発し、
彼女のことを想うダニエルの愛がある。
 
この永久に閉じた世界の中で
マリーや二人の居場所はない。
ただ、その息づかいや手触り、
そして想いだけがリアルなものとして残る。
 
そんな静謐な世界にふりそそぐ、
陽の光が美しい。
 
唯一難癖をつけるとすれば、
全く世界観にそぐわない、エンドロールの歌くらいか。
 
 
 

わらの犬

1971年 アメリカ
監督:サム・ペキンパー
出演:ダスティン・ホフマンスーザン・ジョージ

※ネタバレ有り


サム・ペキンパーの名作である。
1971年製作なので、46年前ということになる。

舞台は、イギリスの片田舎。
天文物理学者のデイビッド(ダスティン・ホフマン)はアメリカの喧噪を離れ、
研究に没頭するため、若い妻と、妻の故郷で暮らすことにする。
妻は、まだ子供っぽいが、セクシーな魅力に溢れ、男なんてどうとでも扱えると思っている。
デイビッドは、世間知らずのインテリで、気がよわそうだ。
二人が、派手なオープンカーで村に乗り付けると、
かつて妻と付き会っていたという噂がある、
がたいのいい若い男が現れ、ちょっかいを出す。
しかし、デイビッドは気にする風もない。

この冒頭から、この映画には不穏な空気が充満している。
若く美しい妻と頼りない夫、
そして妻を狙うならず者たち、という構図。

デイビッドは家のガレージを修理するために
4人の村の若い奴らを雇うことにする。

彼らの妻を見る露骨な視線、
頼りないデイビッドの態度、
飼い猫が殺されるという事件が起きながら、
毅然と対応しない夫に不満を募らせる妻。

不穏な空気はどんどん膨張していく。

そして、デイビッドは若い奴らを御することができずに、
いいようにあしらわれ、狩りを口実に連れ出され家を空けたときに
妻はレイプされてしまう。

それをデイビッドにいえない妻。

心に葛藤と苦悩をかかえた妻とデイビッドは
パーティにでかけ、帰り道に発達障害を持った若者をひいてしまう。
医者が来るまでの間、家で休ませる事にするのだが、
実はその男は人を誤って殺しており、その被害者を捜す家族から追われていた。
男の引き渡しを求めて押し寄せる5人の荒くれ者の家族。
その中にはレイプ犯もいる。

デイビッドはそれを拒否するのだが、
仲裁にやってきた判事を無法者たちが殺してしまい、
一気に暴力は加速する。

家に立てこもり、彼らと相対するデイビッド。
事態はエスカレートし、生きるか死ぬかの戦いへと変貌していく。
同時に覚悟を決めたデイビッド自身も、頼りなく気の弱そうな男から
なにかをなしとげられる強い男へと変わっていく。

ここからの描写の容赦の無さは、なかなかすごい。
もう、50年近く前の映画なのだが、今見ても全くぬるさは感じない。
全ての暴力は合理的で、侵入する側も防ぐ側も、
演出上の都合ではなくロジカルに行動する。
だから、緊張感は途切れることはないし、
そのリアリティもはんぱがない。

そして、長い戦いの末にデイビッドは戦いに勝利する。
気の弱い男が、暴力をものともしない強いヒーローへと変貌する、
あるいは、虐げられた者が多勢の敵に対して復讐を果たす、
そういう物語と取ることもできる。
ここには、カタルシスがあるし、爽快感もある。
しかし、かすかに残る違和感。
不穏な空気は、ここに至っても消えることがない。

ペキンパーといえば、その暴力描写が有名だ、
しかし、別にだからといって、それを賛美しているわけではないだろう。

暴力に対する嫌悪や恐怖、あるいは、暴力による支配という快感、
そのどちらも、誰でもが持っている人間としての根源的な本能のようなもの。
それを否定するわけではなく、かといって美化するわけでもなく
ただ、せきららにあるがままに見せることで、人間の業が見えてくる。

ラストで、発達障害の男をクルマで送っていくデイビッドが
「帰り道が分からない」という男の声に応えて、
「俺も、帰り道が分からない」とつぶやく。

自分の中の暴力という力を解放してしまったデイビッドが
平和的な研究者としての前の自分と変わってしまったことに対する
とまどいや怖れ、いやあるいは高揚、快感だろうか、
そんなものが、まざりあったつぶやきが、
観ている我々を、現実へと引き戻す。

50年たっても色あせない、真の傑作といものでしょう。