ノック・ノック

 
2015年 アメリカ
出演:キアヌ・リーブス、アナ・デ・アルマス
 
※ネタバレ有り
 
突然、見知らぬ来訪者が現れ家にいれたばかりに悲劇に見舞われる、
というのは、ホラーとかサスペンスものでよくあるシチュエーション。
本作も、そのパターンであるが、その来訪者が
エッチな女の子2人組というのが、ちょっと目新しいところ。
 
もう、この導入を観ただけで、この後の展開は大方の方が
想像がつくと思うのだが、その想像を裏切ることなく、
家族の留守中に、その女の子の誘惑にのったばかりに、
理想的な夫であり父親であった男が悲惨な目に遭うことになる。
 
じゃあ、それが、どれくらい、悲惨なのか、
どうおちをつけるのか、というのがこの映画の見所。
最初はかわいらしい女の子だったのに、
一夜が明けるとその雰囲気は一変し、傍若無人なふるまいで家を荒らしはじめる。
出て行けと怒鳴る男に対して、
あんたのやったことは「未成年との淫行」で重罪だと男を脅す。
そして、最初はやんちゃなだけだったのに、だんだんとエスカレートし
暴力的に男を監禁しサディスティックにいじめ始める。
このいやーな感じが、この監督の面目躍如なんでしょうね。
なんたって「ホステル」の監督ですからね。
男がいじめられるのが、好きな人にはたまらないのかも。
といっても、そこまでハードではないけど。
でも、ラストは、ほとんどの男性にとって悪夢のような終わり方で、
なるほど、という感じ。
まあ、納得のいかない部分もあるのだが、
そういうことを気にする映画でもないし。
 
主演は、キアヌ・リーブスで、
かっこつけた、情けない夫を好演してます。
この人は、なんか、変な役が多いような気がする。
「ネオンデーモン」のモーテルの親父とかもかなり変な役だったけど。
本人が役を選んでるのだろうか。
 
 
 
 
 
 
 

かぞくのくに

2012年 日本
 
※ネタバレ有り
 
かつて、1959年から20年間くらいの間、
在日北朝鮮の人々が祖国に帰る帰国事業というものが行われたらしい。
それによって多くの人が北朝鮮に帰国した。
 
いまでこそ、北朝鮮の実態は誰もが知るところだが
当時は何の情報もなく、社会主義による理想国家という幻想を信じ、
夢をもって帰っていったのだと思われる。
 
この映画に描かれているのは、長男を北朝鮮に送った家族の物語。
 
16才のソンホは総連の幹部だった父の指示により北朝鮮に一人帰国した。
それから25年、彼の地で結婚し子供もいる。
しかし、脳に腫瘍が見つかり、
日本で治療するために家族のもとに帰ってくることになる。
 
5年越しの要望が通り、実現したもので、期間は3ヶ月。
治療が終わったら、北朝鮮に帰国するという約束だ。
25年ぶりの再会に、父親と母親、そして妹は歓喜する。
しかし、ソンホには、監視がつき、しゃべることも自由ではない。
そして、妹を工作員にスカウトすることを、命じられてきたらしい。
北朝鮮の厳しい現実を目のあたりにし、
彼我の違いをあらためて思い知らされる家族。
 
そしてソンホの腫瘍は、診断の結果、3ヶ月では治療が
難しいらしいことが判明する。
家族は焦り、つてを頼ってなんとか方策を講じようと努力する。
 
そんな時、いきなり本国から帰国命令がくだる。
明日、帰国せよと。理由は不明だ。尋ねることもできない。
5年の要望の結果、実現したことが、
理由もわからず、ほんの数日でいきなり帰国命令だ。
家族の心配も、努力も全てが水の泡だ。
そういう個人の気持ちや努力が意味をなさない世界。
 
これはもう、ほとんど不条理劇だ。
カフカの小説となんら変わることがない。
だが、これは現実に存在する不条理であり、
国家権力によってなされる不条理だ。
個人に選択の自由はなく、徹底的に無力だ。
 
ソンホは言う。よくあることなのだと。
そして、いちいち考えていては、頭がおかしくなる。
思考停止し、ただ生き延びることだけを考えるのだと。
 
しかし、この映画は、自由な日本と不条理な北朝鮮を比較することに
目的があるわけではない。登場人物が日本の家族なのならば、
それは、不条理の北朝鮮とどう対決するか、という話になるのだが、
この家族の祖国は北朝鮮なのだ。
日本に暮らす家族にしても、アイデンティティは、北朝鮮にある。
だから、この状況には解決策がない。
 
かつて、16歳の長男を北朝鮮に送り出した父親の気持ちは、どんなものだろう。
祖国に対しての希望、落胆、後悔、そしてまた、そんな国に、
病気の治療もできないまま長男を送り出さざるを得ないという絶望。
 
しかし、父親は何も語らない。
最後に別れを告げるソンホに対しても、一言の言葉をかけることもできない。
何も言葉にできないほどの絶望、そしてその絶望は自分にかえってくる絶望だ。
 
ソンホが妹に言う、「おまえは考えろ」と。
自分の人生なんだから、どう生きるのかちゃんと考えろと。
そしてその言葉を受けた、主人公である妹の最後の行動だけが
このがんじがらめの世界でのかすかな救いだ。
 

女が眠る時

2016年 日本
 
※ネタバレ有り
 
西島秀俊演じる小説家、健二は、編集者の妻と伊豆のホテルに休暇に来ている。
2作目を書いてから、ずいぶんと時間がたち、なかなか次が書けない。
編集者の妻のアドバイスのようなものも気に障る。
ホテルのプールサイドで見かけたのは、年の離れたカップル。
親子のようには見えない。
何をしているのか分からない得たいのしれ無さを持った男、佐原と
まだ、若いのに妙にエロチックな少女。
そして健二は、だんだんとこの二人に囚われていく。
 
佐原が毎日撮影しているという少女の寝姿。
訳が分からずも、気になる健二。
健二の妻は、毎日平野という作家の別宅へと出かけていく。
いったい、何をしているのか。
そしていつしか、佐原とも親しげに話しをしている。
少女の昔の写真を飾っている居酒屋。
主人はいきなり、ストッキングとタイツの違いの話を始める。
少女は、雨の中、健二の車に乗り込んでくる。
そしてでかけては、また戻ってきて泣く。
自分を裏切った少女を殺害することを、匂わせる佐原。
そして少女は失踪する。
妻の帽子が見当たらない。それをなぜか佐原が知っている。
健二は、ホテルの部屋で、キーボードを打ち続ける。
 
この映画には、正解は存在しないのだろう。
いや、もちろん監督の中には正解があって、
ちゃんとしたロジックがあるのだろうが。
しかし、その正解をあえてぼかしている。
どうとでも解釈できる、断片の集合体。
 
妻が裏切っているのかもしれないし、そうでないかもしれない。
最後にあきらかになる妊娠は、健二の子供ではないかもしれない。
少女は、佐原が殺したのかもしれないし、ただ出て行っただけかもしれない。
あるいは、そんな全ては健二の妄想で小説の中の出来事かもしれない。
はたまた、全ては妻が仕組んだことかもしれない。
 
ジトっとしていて、熱っぽく、ゆっくりと、なまめかしく時間が動いていく。
どこか暑いところにある、リゾートホテルのけだるさ。
会話はいつも一方通行で、そばにいる人が
何を考えていているのか分からない不安と無気味さ。
だんだんと何が現実で何が妄想なのかがよく分からなくなってくる。
そんな、現実と妄想の狭間での、存在の危うさ、認識のゆらぎが、心地いい。
 
キャスティングでは、佐原を演じるビートたけし
教団の教祖とかフィクサーのような超越した無気味さは際立っているのだが、
それを上回るのがリリーフランキー
一見人当たりが良さそうなのに、すぐ裏側には得体の知れない怖さが
見え隠れするいやーな感じがすばらしい。
西島秀俊は、苦悩するいつもの西島秀俊だったが。
 
なにか、豊穣さと贅沢さを感じさせる映画でした。
 
 
 

過激派オペラ

2016年 日本
監督:江本純子
出演:早織、中村有沙、他
※ネタバレ有り

アングラレズ劇団の話なのだが、
そのアングラとかレズという要素をとっぱらってしまえば
しごくまっとうな青春ストーリーだ。

カリスマ的な才能のある、演出家、重信ナオコの率いる劇団「毛布教」の
オーディションで、重信は女優、岡高春に一目惚れをする。
この二人のラブストーリーを軸に物語は進んでいく。

最初は、レズっ気のない岡高は拒否するのだが、
重信の思いにほだされ、つきあい、一緒に暮らすようになる。
そして岡高が主演女優として演じた旗揚げ公演「過激派オペラ」は
大成功を収め、いろいろな人が集まってくるようになる。

その中に、有名女優ユリエがいた。
彼女は才能もあり、次第に重信の演出にも意見をいうようになり、
重信もそれを重用するようになっていく。
劇団の中で、唯一絶対のカリスマであった重信が変質してくるともに、
恋人である岡高には嫉妬や不満が生まれ、そして二人は別れてしまう。

そしてそれをきかっけに、劇団は崩壊へと向かっていく。

毛布教の芝居は、アナーキーで実験的。
「テロエロ」と名乗るくらい、エロと暴力にあふれている。
それは、ある種の女性たちから、圧倒的な支持を得ている。
信頼できるリーダー(演出家)がいて、その集団の中では
性的なものも含めて自分の欲望をさらけ出すことができて、
それが肯定されるという世界はある種のユートピアだ。
しかし、それはリーダーの重信が絶対的リーダーだったからこそ成り立つ世界。
そこに、ユリエという異質な価値観を持った才能の加入により
重信の絶対性がほころび、そのユートピアの希有なバランスは壊れていく。

そのもろさたるや!でも青春ってそんな感じだよなあと、思う。
間違いだらけ、暴走しまくりで、熱くて、せつなくて、
仲良くなるのもあっという間なら、壊れるのもあっという間だ。

まだ、劇団がハッピーだった頃の一場面で
稽古場で水を掛け合い、下着姿になって、みんなが通りに出て行くシーンがあるのだが、そのシーンのキラキラした感じがちょっと素敵で、
それが余計に壊れやすい世界を際立たせていたようにも思う。

ネオン・デーモン

2016年 アメリカ
監督:ニコラス・ウィンディング・レフン
出演:エル・ファニングアビー・リー

※ネタばれ有り

なんだか、悪い夢のような映画だ。
最初はモデル業界の闇を描く、サイコサスペンスかと思うのだが、
やがて、スプラッターへと変貌していく。

登場人物は、極端に少なく、
重要な人物は、主人公のジェシーとメイクのルビー、
それとライバルのモデルのジジとサラ、という4人の女性。
あとは、カメラマンとかジェシーのボーイフレンドとか、

ただの背景の記号のようなもの。
彼女らの関係は、ジェシーに恋心を抱くルビーと、
モデルとして成功するジェシーに嫉妬するジジとサラ、
という実に単純化された図式。
そして、ジェシーに振られたルビーがかわいさ余ってにくさ百倍、
3人で結託して惨劇が起こる、というお話だ。
彼女らの背景や内面はあまり語られず、惨劇へとつながるような伏線もない。
ただ、唐突に物事が起こり、記号的に話しは進んでいく。

描かれているのは何だろう。
美とそれによって突き動かされる人間の闇か?
最初はうぶな田舎娘だったジェシーは、美の信奉者となり、
自分の美しさに酔いしれる。
そして、他の3人は、そんなジェシーへの嫉妬に常軌を逸していく。
ここには、まともな人間はおらず、全員が美という絶対価値のもとに狂っている。
しかし、その構図は、いささか類型的過ぎるようにも思う。
そんな嫉妬は、どこの世界にもある当たり前のこと。
これを闇だというなら、「ヘルタースケルター」で自分の身体を改造して破滅する
沢尻エリカの方が、はるかに闇が深いだろう。

描かれているのはえぐい話しなのだが、映像は非常にファッショナブルで、
どの場面をとっても1枚のスチールとして成立するような完成度の高さ。
それに音楽もかっこいい。ちょっとダビーで
エレクトロ風味のお洒落ジャズというところか。

惨劇後のラストで、ジジの撮影につきそうサラ。
カメラマンは、かつてジェシーを撮影した超一流。
そしてカメラマンは他のモデルを首にしてサラに撮影させて欲しいと依頼する。
ここでのサラは、かつてジェシーに仕事を取られた敗者ではなく
何か違うオーラを身にまとっている。
ジジとサラが海を背景に赤いライトを浴びて立つ画面は、
むちゃくちゃかっこいい。
ジジは結局、ジェシーのことが耐えられず自滅するのだが、
それを尻目にサラは、全てを貪欲に飲み込み、颯爽と歩いて行く。

きっと、この監督は人間の内面のどろどろとしたものを
描くことに興味がないのだろう。
ここに描かれたのは、闇ではなく“弱肉強食”の世界を生き抜くどう猛な美しさだ。

モデルとして成功しかけたジェシーと、
それに嫉妬する他のモデルたちという構図ではなく、
いたいけなジェシースケープゴートとし、
生き抜いていくどう猛な捕食者サラ、という構図。
そして、話しはおそるべきダークヒロインの誕生で幕を閉じる。
圧倒的な映像美は、そんなヒロインを賛美するようだ。

思えば、最初のシーンから、ジェシーが生け贄となることは暗示されている。

しかしまあ、観る人を選ぶ映画であることは確か。
「ドライブ」で有名になったレフン監督であるが、本作はかなり毛色が違う。
でも、より次回作が楽しみなった。

2018年2月映画日記 (1)

2月の映画日記、
ネタバレ有りです。
 

ドクター・ストレンジ

2016年 アメリカ

ザ・アメコミヒーロー物ですね。
主人公が、ヒーローになるまでと、世界を救う活躍が破綻無く描かれる。
しかし、この映画を観ているとアメコミの絵が想像できる。
おそらく、コミックの構図のママに撮影されたんだろうな、と。
でも、それは映画がコミックを真似たというよりも
アメコミ自体が、映画のコンテのように描かれているということなんでしょう。
日本の漫画とは、そこの立ち位置が違うというか、
発想の仕組みが違うというか。
だから、映画にしたときの劣化が少ないのかも。

トリコロール/白の愛」
1994年 フランス、ポーランド、スイス
トリコロール三部作の三作目。今度のテーマは「博愛」らしい。
主人公と盗聴が趣味の引退した判事との関係が軸だが、
テーマ性がそこまで明確ではない。
そもそも「博愛」という概念からして難しい。
しかし、その抽象性の中に浮かび上がってくる感情、言葉のやりとり、行動。
ラストで、主人公の無事をTVで確認する判事の心情や、
そこから浮かび上がってくる、思いやりのようなもの、それが心地よい。
主人公は「二人のベロニカ」の女優さんだが、
彼女の雰囲気がいいのかも。

「ハーモニー」
2015年 日本 
伊藤計劃の3つのアニメ作品の中では、一番まとまっているかもしれない。
ここに描かれているのは、人類の終末だ。
なぜ、終末へと向かうのか。それは、身体を管理されることを受け入れたから。
それが、生物種としての根源的なエネルギーを奪ってしまうからだろうか、
訪れるのは、とても静かな終末だ。
静かで平穏で、悩むこともない世界。
それは、とても魅力的なので、
この終末が、絶望なのかどうかよく分からなくなってくる。

「スノーデン」
2016年 アメリカ
実話をもとにした映画。こういう映画を見るとアメリカという国は
度量が大きいのだと思う。まあ、しかし、あえてガス抜きのために
許容しているのだと、うがって考えることもできる。
だが、実際問題としてスノーデンの告発は何かを変えたのだろうか。
なんか、貴乃花とだぶる。

「予兆 散歩する侵略者
2017年 日本
人類の未来よりも、自分の夫の腕の痛みの方が重要、
というモチーフは面白いのだが、それを生かし切れていない気がする。
しかし、なんで、このキャスティングなのか?
染谷将太東出昌大、しかも東出が人間を理解しようと考える宇宙人となると
どうしても、「寄生獣」とイメージがかぶる。
演技もほぼ一緒だし。

麦秋
1951年 日本
小津が自分のスタイルを作り上げてから間もないわりと初期の映画。
しかし、そのスタイルは本作で既に完璧に確立されている。
原節子演じる紀子とその家族が描かれる。
紀子は家族の反対をおしきり、子持ちバツイチの幼なじみとの結婚を決める。
それは、新しい時代の到来を意識させるが、
新しい時代とは、つまり旧い時代の終焉でもある。
それが、家族というものの移り変わりを際立たせていく。
結婚し、子供をつくって、その子供が大きくなり、独り立ちし家を出て行く。
そして子供にも子供が出来、親とは別の人生を歩んでいく。
やがて、家族はばらばらになり、親は死に、家族は移り変わっていく。
それは、古来から延々と繰り返されてきた、人の営み。
避けることの出来ないことなのに、でもそれはどうしようもなく寂しい。

2018年1月 映画日記

1月に観た映画の雑感をまとめてみました。

ネタバレ有りです。

 

「何者」
2016年 日本
原作は、あまり好きな小説ではなく、
映画も好きになれない感じだったが、途中からは結構楽しめた。
おそらくこんな大学生は存在しない。
大学生は、もっといいかげんで、こんなに無防備ではない。
しかし、これはまあ、作者の作り出したフィクションであるし、
あくまで作者のリアルでしかないのだから、それはそれだ。
若者特有な頑張りすぎることによる痛々しさに対する、過剰な拒否反応、
それは何も生まない、という普遍的な真理。
ラストのどんでん返しをどう表現するのかと思ったが、
映画にすると結構普通な表現になった。
演劇的な要素を持ち込むことによって
ちょっとがんばったかなと言う感じ。
 
 
「エレニの帰郷」
2008年 ギリシャ、ドイツ、ロシア
エレニと二人の男をめぐる三角関係、
そしてエレニの息子と娘の物語。
第二次大戦が終わり、ソビエト社会主義体制が崩壊する中で翻弄される3人。
おおまかなあらすじは分かるのだが、細かな背景説明はなく
象徴的な場面の連なりによって物語は進んでいく。
スタジオに落書きされた天使の3番目の翼、
屋上からまかれる詩がかかれた無数のビラ、等など。
その一つ一つのシーンから、生きるということの悲しみがあふれてくる。
無音のエンドロールも、余韻がすばらしい。
 
 
1985年 日本
監督、伊丹十三の奥さんに対する愛情とか
映画に対する愛情があふれた良い映画でした。
宮本信子のかわいらしい魅力が満載です。
 
 
「400デイズ」
2015年 アメリカ
地下での宇宙飛行士訓練中に地上では天変地異が起こり
人類滅亡か、という映画。途中、人肉食を連想させたり
結構えぐい話になるのだが、ラストは、あれ、それも含めて訓練だったの、いやいや。というところで終わる。なんというか、物足りないというか、ずるいというか。
 
 
傷物語
2016年 日本
まあ、いつもの化物語シリーズではあるのだが、
劇場用のせいか、やや間延びした感じも。
3部作ではなく、2部作でよかったのではと思う。
 
 
1961年 アメリカ
オードリーは魅力的だし,ムーンリバーもよい曲だと思うが、
話は、人生で何が一番大切かに最後で気づく、という
まあよくあるハッピーエンド物語。
にしても、昔の映画って設定がきわどいというか、
本作も主人公は娼婦らしいし、彼氏もマダムのお相手をしてお金をもらっている。
アパートの鍵貸します」とか「月曜日のユカ」とかも
よく考えると、なかなかではないか。
 
 
「スターシップトルーパーズ」
1997年 アメリカ
イケメンと美女ばかりの青春ストーリーという
フレームで描かれる昆虫型宇宙人とのグロテスクな戦い。
このいびつさにつきるんでしょうね。
昆虫宇宙人のCGはすごいが、それ以外は徹底してB級。
戦争に対するシニカルな表現も結構あるが、
そこまで、戦争批判というわけでもなく、
とにかく徹底的に悪ノリしてみました、という映画。
その徹底さ加減がなかなか痛快。
 
 
「キャビン」 
2012年 アメリカ
脳天気な大学生男女5人、山奥のへんぴな別荘、
湖でのバカンスという、ホラーの定番ともいうべき
シチュエーションを用意しながら、
そこに、観られる側(大学生5人=ホラー世界)と
監視する側(謎の組織=現実世界)という
メタ的な二重構造を持ってきた異色作。
監視する側は、ホラー映画を鑑賞する我々観客のメタファーであり、
最後は、観られる側(ホラー世界)が
監視する側(つまり我々観客)に復讐するという痛快な作品。
随所にホラー映画へのパロディやオマージュがあふれ
ホラーへの愛を感じさせる。
 
 
『オール・アバウト・マイ・マザー』 
1999年 スペイン
少し変わったテンションの映画。
息子が事故で死に、別れた夫を探しに行く母親の話しなのだが、
かつて暮らした街で出会う、ゲイや、舞台女優、そのアシスタントのジャンキー、
慈善事業を行うシスターなど、癖のある女ばかりがでてくる。
そんなマイノリティを見つめる視線は温かくていいのだけれど、
それで、結局何?みたいな気持ちになる。
 
 
「昼下がりの決斗」 
1962年 アメリカ
ペキンパーの初期作品。
暴力は特に描かれず、むしろ、ヒューマンな作品という印象。
登場人物のやりとりとか、人間愛にあふれたジブリアニメのよう。
ラストで、主人公の二人が、銃弾の雨のなか、
悪人に立ち向かって颯爽と歩いて行く姿がちょっと格好よかった。
 
 
トリコロール/白の愛」
1994年 フランス・ポーランド・スイス
トリコロール三部作の二作目で、テーマは「平等」らしい。
しかし、内容は平等というよりも「目には目を」だ。
妻から離縁され追い出された男が、妻を罠にはめ、
自分と同じ苦しみを味あわせる。
その背景には愛があるから、なんとなく許せるが
でも、それってどうなのって感じです。
 
 
2015年 アメリカ、カナダ
美しい映像に彩られた王道のゴシックホラー。
ただ、デルトロさんの映画は、綺麗すぎて
筆者的には、もっと闇を掘り下げて欲しかった感も。
「パンズラビリンス」は、あんなに、よかったのに。
浴槽の亡霊とか、吹雪の中を助けに来るとか
随所に「シャイニング」へのオマージュ?らしきものもあった気がする。
ベースとなっているのは「青ひげ」なんでしょうけど、
ラストの展開とか、日本昔話の山姥を思い出しました。「三枚のお札」かな?
山姥が鉈だか、刀だか持って追いかけてくるやつ。