シン・ゴジラ

2016年 日本

監督:庵野秀明

出演:長谷川博己石原さとみ 他


余計な物をそぎ落とした、シンプルな物語だ。
人智を超えた事象が起こり、それにどう対応するのか、それをリアルに追求している。ただ、シンプルなだけに、いろいろな解釈や楽しみ方が可能になる。
災害シミュレーションムービーだったり、政事劇だったり、
あるいは、ゴジラを神と考えるなら、その出現の意味だったり、
また、どこまで映画がリアルかというディテイルのこだわりだったり。
多層的な魅力にあふれている映画である。

初代ゴジラは、原爆の恐怖の象徴であった。
では今回のシン・ゴジラは、なにかといえば、3.11の象徴なのだろう。
3,11とは、人間の営みをあざ笑うかのような圧倒的な自然の力であり、
また原発事故という人災により、さらにその被害は増幅されるとともに
世界に対して加害者となる可能性も生まれた。
被害者のはずが、いつのまにか加害者になってしまうという二重性、
日本人が抱えてしまったその潜在的な恐怖がシン・ゴジラでも核となっている。
ただの被害者のはずが、いつのまにか世界を敵に回すことになる恐怖。
だから、この映画では、敵がころころと変わる。ゴジラから、米国、世界へと。

たとえば、ゴジラが火を噴くシーン。
米軍の高性能爆弾で血を流し、うずくまるゴジラ
そこで、ゴジラはまるで嘔吐するように、火を吐く。
そして、その吐瀉された火は先鋭化し、ビームとなる。
ビームは、あらゆる物を破壊し、ゴジラは無敵の存在へと進化する。
ゴジラのビームは、怒りであり、なにかの衝動だ。
それは、誰の怒りなのか。
この辺の衝動の発露の描き方は、秀逸だ。庵野監督の面目躍如というところ。
ここだけをとれば、エヴァのよう、という評価もうなづける。
まあ、エヴァは、自虐とそれに対する怒りの衝動だけで成り立っているかのような話であるが。

しかし、このゴジラは、そこから自虐や絶望や破滅に陥ることはなく
きちんと物語として終息していく。エヴァとは違うのだ。

その終息のしかたは、かなりファンタジーで、
こんなに政府が機能するのなら、今の日本のていたらくもないだろうし
3,11の時の無様な対応もなかったろうと思うが
ドラマとして考えれば、かなり面白く観ることは出来たし
素直によくできたストーリーとほめるべきかもしれない。

いろいろな人が語っているのを目にするが、何かを語りたくなる映画という一事をとってしても、近年の日本映画には珍しいできばえであることは確かだ。

なんやかやいっても、日本人はゴジラ好きなんだろう。