失ってからはじまる人生の再発見。            「永い言い訳」 西川美和

西川美和の「永い言い訳」であるが、映画ではなく本の方。

妻が突然のバス事故で亡くなるという悲劇に見舞われた男の物語。
主人公は、小説家、衣笠幸夫。
イケメンで、タレント作家としてもそれなりに売れっ子だ。
しかし、最近は妻への愛情も醒め、出版社の女性と不倫関係にある。
事故の知らせを聞くも、悲しむことも出来ず
気持ちの落ち着けどころを見つけることができない。

罪悪感を抱けばよいのか、それとももう終わっていたのだと開き直ればよいのか
そもそも、なぜ妻と距離ができてしまったのかが、分からない。
なにかきっかけがあったのかなかったのか、それが自分のせいだったのか、
妻のせいだったのかも分からず、ただ、心の中で右往左往する。
そして、迷走する。

そこに現れた、同じ事故で妻を亡くした大宮陽一。
長距離トラックの運転手をしながら
まだ小さい子供たちとの暮らしに必死に奮闘している。
妻同士が友人だったことも有り、連絡してきたのだが、
陽一は妻を亡くしたショックから立ち直る事ができない。
そのストレートな感情に、幸夫は困惑する。
しかし、陽一の長男、中学受験を目指す真平に、なんとなく親近感を持った幸夫は
彼らの家族のサポートすることになる。
そして、彼らとの生活を通して、幸夫は新しい自分を発見していく。

自分の気持ちに正直になろう、とはよくいうことであるが
はたして自分の正直な気持ちなどというものは存在するのだろうか。
そんなものは、ただ、揺れ動く瞬間のできごとにしか過ぎず、
不確定性原理のように、これが自分の気持ちだと思った次の瞬間には
すでに変わってしまっている、いつまでたっても捉えることの出来ない、
そんなもののような気がする。

だから、自分の気持ちに正直になるとは、
自分はこの気持ちなのだと信じ、それとともに生きていくという決意なのではないか。
その決意すらも、しかし、確固たるというものでもない。なんとなく、そのポジションが居心地がいいということに、ふと気がつく、という程度のもの。


この小説は、解決も出口も存在しない迷路の片隅に
自分の居場所らしきものを、見つけることができるかどうか、そんな話のように思える。

しかし映画のサイトを見ると、「かつてないラブストーリー」とあり、
しばし、そうなのだろうかと考えてはみたが、
これをラブストーリーと呼ぶかどうかは、私にはよく分からなかった。

小説を読みながら、どういうキャスティングなのだろうと考えていたのだが、
幸夫役が本木雅弘、陽一役が竹原ピストル、ということを知り
「おおそうか、竹原ピストルか!」と、納得した。
本木雅弘は、どうなんだろうという感じであるが、そのうち映画も観てみたい。