衝撃のラスト12分・・・。で、結局なんだったんだ? 「FAKE」

 2016年 日本
監督:森 達也
出演:佐村河内守、他
 
※ネタバレ有り
 
 
もう、2年になるんですかね。
事件の記憶も既に朧気であるが、佐村河内氏へのインタビューを中心に
事件の真相を追ったドキュメンタリー映画
 
 映画は、大きく3つのパートに別れている。
最初のパートは、佐村河内氏に寄り添い、世の中の一方的な見方を
「詐欺師といわれるけれど、そうでもないかもしれないよ」と見る人に問いかける部分。
映画は「感音性難聴」という診断書を提示し、全く聞こえないわけではないけれど
言葉は聞き取りづらい、ということを説明し、障害を持つ少女との交流を映し出し、
そして何より献身的な奥さんの姿を見せていく。
新垣氏がテレビのバラエティ番組に出演し、まるでタレントのようにふるまうのを見て
黙り込む佐村河内氏の表情も、なかなかくるものがある。
聞こえるかどうかも、単なる指示なのか共作なのかどうかも、
白か黒かという明快な二元論では語れないという、ここでの主張は、一定の説得力を持っている気にもなってくる。
ここは、「佐村河内=悪、新垣=善」という世の中の一方的なイメージに疑念を呈すパートでも有り、おそらく、監督の森達也氏が佐村河内氏と信頼関係を築くというパートでもあるのだろうと思う。
 
しかし、その次のパートでその流れは変わる。
海外メディアの取材のシーンだ。
 
「なぜ1?年間、作曲法を学ぼうとしなかったのか?」
「指示書は作曲ではない。音源はないのか?」
「ピアノを弾くところを見せてくれないか?」
「なぜ家に楽器がないのか?」
という、至極まっとうな質問に対し、佐村河内氏は全く答えることができない。
そして、楽器のないことに対し、「部屋が狭いから」というのだ。
 
このパートで、やっぱり佐村河内氏は音楽家じゃ、ないんだね、となる。
まあ、もともと指示書を渡していただけというのは、既に公表していることではあるが
こうやって理詰めで確認していくと、それが身も蓋もなく明らかになってくる。
そして、そこに、おいうちをかけるように監督はいう。
「あなた音楽が好きなんでしょう。だったら、作りましょうよ、音楽。」
 
そして最後のパート、ここが衝撃の12分といわれている部分、佐村河内氏が新曲を作るパートだ。
新たにシンセを購入したと連絡を受けた監督が、行ってみると
シンセを前に曲を作る佐村河内氏がいる。
この場面を観ると、上手くはないが、それなりにキーボードを演奏する事が出来るのだと分かる。新曲は、メインのメロディはあらかたできあがっていて、
アレンジの詰め作業をおこなっているところだ。
そして、曲は完成し、奥さんと監督の前で披露される。
曲は、よくいえば、ドラマチック、聴く人によっては、
感動的でいいという人もいるかも、というような大仰な音楽。
 
ただ、プロの作品かといわれれば、どうだろうという印象。
この程度の作曲ができたからといって特に大きな驚きはない。
ああ、このくらいはできるんだね、という感じ。
 
しかし、披露が終わった佐村河内氏に対して監督は、
曲の感想を言うでもなく、創作のプロセスを尋ねるわけでもなくこう言う。
「いまぼくに何か隠していることはありませんか」と。
そして、その質問に対して、答えられずにつまる佐村河内氏のアップで映画は終わる。
 
この質問の意図はなんなのだろう。
そして、この映画の意図はどこにあったのだろうと、思う。
 
今回、新曲作成のプロセスは映されていない。
だから、実は誰かに依頼して作っているのかもしれない。
観てない以上、そうではないと言うことはできないし、そうだともいえない。
 
なぜ、その期間、撮影ができていないかと言うことに対して
後のインタビューで監督はこんなことを言っている。
「曲を作ると言ってから、何でかは覚えていないんですが僕が頭にきて、
撮影に行かない時期があった」と。そして、それは痛恨のミスだと。
 
しかし、本当にそうなのだろうか。
むしろ、曲を作ることをけしかけた上で、そこをあえて曖昧にしたかったのではないか。
監督にとって、結局、佐村河内氏が作曲できようができまいが、どうでもよかったのではないかと。
 
監督が描きたかったのは、そういう真実ではなかったのではないか、
じゃあ、いったい、何を描きたかったのか?
そんなことがぐるぐるする映画でした。