淵に立つ

2016年 日本・フランス
監督:深田晃司
出演:浅野忠信筒井真理子、古館寛治

※ネタバレ有り

「ほとりの朔子」の監督だが、肌触りはだいぶ違う。
前作は妙なリアル感があって、ちょっとドキュメントっぽい作りだと思ったのだが
シニカルな軽さがあり、今作はもっと映画的な重さがあった。

浅野忠信演じる、八坂の出現により崩壊する家族の物語。

町工場を営む利雄の前に、古い知り合いの八坂が訪れる。
八坂は出所したてのようだが、利夫は八坂のために自宅の一室を与え
住みこみで働いて貰う事にする。
最初はとまどう妻だが、八坂の誠実な人柄にだんだんと好感を持ちはじめ、
娘の蛍も八坂になついていく。

やがて、八坂と利雄の関係が、実は殺人の共犯者で
八坂が黙秘したために罪に問われなかったのだと言うことが明らかになってくる。
そして、過去の罪を告白した八坂に、妻の章江はますます好意を感じ、
不倫に近い関係になっていく。
家族は八坂を中心に回り始め、誠実で清廉な八坂はその仮面を脱いでいく。

家族の中に秘密が生まれ、不穏な空気が漂い始めた頃、事件は起こる。
外に出かけた蛍を探しにでた利雄は、
蛍が頭に大けがを負い、そのそばには八坂の姿があるのを、見つける。
利雄は動転し、八坂はそのまま失踪する。

しかし、物語はここからが本題だ。

8年の年月が流れ、蛍の意識は回復せず、
車椅子にすわったまま、話すことも動くこともできない。
利雄は、興信所を使って八坂を探し続け、妻の章江は娘の世話に疲れ果てている。

八坂の出現と彼の行為は、まるで神による試練のようだ。
劇中でも、利雄は、蛍がこうなったのは、夫婦二人への罰だという。
共犯者でありながら、ぬくぬくと罪を償わなかった利雄と
妻でありながら、八坂と精神的な不貞を働いた章江への。

それに対し、章江は、なにをばかな事をいっているのだと怒る。
蛍の面倒を見るということの現実を見ろと。

罰であるかどうかは不明だが、まぎれもなく試練だろうと思う。
この状況でも、家族という信仰を持ち続けることができるか、という試練だ。

八坂に悪意があったのかどうかもわからず、八坂が蛍に何をしたかもわからない。
八坂が利雄の前に現れたのも、妻の章江を誘惑したのも、
復讐の意図からなのかどうかも不明で、全ては利雄と章江にゆだねられている。
この理不尽な試練に対して、どう振る舞うかが問われているのだと。
それはまるで、聖書のヨブ記を連想させる。

自分のせいなのか、そうでないのか。そして、自分はどうすべきか、
どんなに自問自答を繰り返しても答えは見つからない。
それでも、二人は自分の闇と、向き合わざるを得ない。
しかしそこに、答えなんてものはは存在しない。
ただ、極限的な状況に置かれたときの人間の苦悩があるだけだ。

ここにあるのは、そんな象徴的で神話的な物語ではないか。
似ていると言えば、遠藤周作の「沈黙」のほうか?

正直、こんな淵には立ちたくないな、と思いました。
できうれば、一生。