かぞくのくに

2012年 日本
 
※ネタバレ有り
 
かつて、1959年から20年間くらいの間、
在日北朝鮮の人々が祖国に帰る帰国事業というものが行われたらしい。
それによって多くの人が北朝鮮に帰国した。
 
いまでこそ、北朝鮮の実態は誰もが知るところだが
当時は何の情報もなく、社会主義による理想国家という幻想を信じ、
夢をもって帰っていったのだと思われる。
 
この映画に描かれているのは、長男を北朝鮮に送った家族の物語。
 
16才のソンホは総連の幹部だった父の指示により北朝鮮に一人帰国した。
それから25年、彼の地で結婚し子供もいる。
しかし、脳に腫瘍が見つかり、
日本で治療するために家族のもとに帰ってくることになる。
 
5年越しの要望が通り、実現したもので、期間は3ヶ月。
治療が終わったら、北朝鮮に帰国するという約束だ。
25年ぶりの再会に、父親と母親、そして妹は歓喜する。
しかし、ソンホには、監視がつき、しゃべることも自由ではない。
そして、妹を工作員にスカウトすることを、命じられてきたらしい。
北朝鮮の厳しい現実を目のあたりにし、
彼我の違いをあらためて思い知らされる家族。
 
そしてソンホの腫瘍は、診断の結果、3ヶ月では治療が
難しいらしいことが判明する。
家族は焦り、つてを頼ってなんとか方策を講じようと努力する。
 
そんな時、いきなり本国から帰国命令がくだる。
明日、帰国せよと。理由は不明だ。尋ねることもできない。
5年の要望の結果、実現したことが、
理由もわからず、ほんの数日でいきなり帰国命令だ。
家族の心配も、努力も全てが水の泡だ。
そういう個人の気持ちや努力が意味をなさない世界。
 
これはもう、ほとんど不条理劇だ。
カフカの小説となんら変わることがない。
だが、これは現実に存在する不条理であり、
国家権力によってなされる不条理だ。
個人に選択の自由はなく、徹底的に無力だ。
 
ソンホは言う。よくあることなのだと。
そして、いちいち考えていては、頭がおかしくなる。
思考停止し、ただ生き延びることだけを考えるのだと。
 
しかし、この映画は、自由な日本と不条理な北朝鮮を比較することに
目的があるわけではない。登場人物が日本の家族なのならば、
それは、不条理の北朝鮮とどう対決するか、という話になるのだが、
この家族の祖国は北朝鮮なのだ。
日本に暮らす家族にしても、アイデンティティは、北朝鮮にある。
だから、この状況には解決策がない。
 
かつて、16歳の長男を北朝鮮に送り出した父親の気持ちは、どんなものだろう。
祖国に対しての希望、落胆、後悔、そしてまた、そんな国に、
病気の治療もできないまま長男を送り出さざるを得ないという絶望。
 
しかし、父親は何も語らない。
最後に別れを告げるソンホに対しても、一言の言葉をかけることもできない。
何も言葉にできないほどの絶望、そしてその絶望は自分にかえってくる絶望だ。
 
ソンホが妹に言う、「おまえは考えろ」と。
自分の人生なんだから、どう生きるのかちゃんと考えろと。
そしてその言葉を受けた、主人公である妹の最後の行動だけが
このがんじがらめの世界でのかすかな救いだ。