岬の兄妹

2019年 日本
監督:片山慎三
出演:松浦裕也、和田光沙、他

※ネタバレあり!


笑っちゃうくらいの貧困のお話。

日本のどこかの海沿いの地方都市。
ヨシオは、片足に障害を持っているために、造船工場をリストラされる。
彼は、知恵遅れの妹マリコと二人暮らしだ。
リストラされたとたん、二人はあっという間に貧困に転落する。
底辺の貧困だ。
働き先もなく、電気料金も支払えずに止められる。
食べるものもなく、ホームレスとゴミを奪い合う。
友達には、金を借りまくりいやがられる。
ヨシオはしようがなく、妹を使ったデリヘルを始める。
相手は、いろいろだ。
老人もいれば、小人の障碍者もいる。
しかし、知恵遅れのマリコは嫌がらない。あっけらかんとしている。
むしろ、「オシゴト、する」と、積極的にやっている風もある。
マリコだって、いい歳をした娘なのだ。性欲だってある。
その、あっけらかんとしたマリコに救われ、
ヨシオは、さほど良心の呵責に苛まれることもなく、それを続ける。

普通に考えれば、それは最低の生活なのだが、
画面にはそれほどの絶望はない。
むしろ、絶望する暇もないほどただ生存本能にしたがうだけの彼らの姿は
たくましくもあり、妙な明るさと笑いが感じられる。

しかし、その生活は、マリコが妊娠したことによって終わりを告げる。
あるいは、誰彼かまわず、マリコが「オシゴト」を誘うようになったからか。

その後、ヨシオは昔の知り合いの頼みで復職することになる。
マリコは、堕胎し、生活はまた以前のものに戻ったようだ。

そして問題のラストだ。
復職し、元の生活に戻ったヨシオは、
家を勝手にでてしまった、マリコを探す。
ヨシオは、海辺の岩の上に立つでマリコを見つける。
なんで、そんなところに。
いぶかしがるヨシオの携帯が鳴り、不審な表情に。
振り向くマリコは微笑む。

ヨシオの電話がなんだったのか、マリコの笑顔の意味が
なんだったのかは明らかではない。
しかし、その微笑は観ている我々に刺さる。
その目は、まるで全てを見通しているようだ。
それは、既に知恵おくれの娘のものではなく
この世のものではないようにさえ思える。
安閑とこの映画を楽しんでいた我々に向けての笑顔のようで、
何かを問われている気がしてしまう。

この映画では、生きるためのあらゆることが肯定される。
ゴミをあさることも、知恵おくれの娘が売春することも、
一人暮らしの老人や障碍者が買春することも、
チンピラと戦うためにひりだしたウンコを投げることも。
だから、我々は、衝撃を受けながらも、
ある種、安心して、エンターテイメントとして
この映画を観ることができる

その安心感に、最後の最後で
冷や水を浴びせられたような、そんな怖さだろうか。
余韻が、いつまでもじわじわと来る。