裁かれるは善人のみ

2014年 ロシア

監督:アンドレイ・ズビャギンツェフ

出演:アレクセイ・セレブリャコフ、他

※ネタバレあり

 

ロシアの海沿いの街で、自動車修理工のコウリャは、
美しい妻と息子と暮らしている。
しかし、妻は後妻で多感な時期の息子とは折り合いが悪い。
そんな中、コウリャは家と土地を再開発をすすめる強欲な市長に
奪われそうになる。

そこで、友人の弁護士をモスクワから呼び寄せるのだが、
なんということか、その友人と妻は不倫関係に。
そして、友人は、市長一派に脅されあっさりとモスクワに引き上げ
ますます息子と折り合いが悪くなった妻は家を出て行ってしまう。

その後、妻は誰かに殺されたことが明らかになり、
コウリャはその罪を着せられることに。

コウリャと息子、そして妻の気持ちのすれ違いは
すれ違いのまま、断絶は拡大し、そこに市長の陰謀がからんでいき
これでもかという悲劇がコウリャを襲う。

無実を主張するも、コウリャは投獄され、
その裏で市長はのうのうと再開発をすすめるという不条理。

妻の死が明らかになる前、いなくなった妻を想い、
飲んだくれるコウリャに神父が「ヨブ記」を語るシーンがあるのだが、
本作は「ヨブ記」がアイデアのもとになっているらしい。
ヨブ記」は神の試練と、試練を与える不可知の神に対して人はどう信仰心を
持ち続けることができるか、という内容だったかと思うが、
しかし、コウリャを襲う悲劇は、神の試練というよりも
この世界にぽっかりと空いた虚無のように思える。

かっこつけただけであっさりと尻尾を巻く友人弁護士と
妻のあまりにも軽い不倫、
軽薄で凡庸な悪の象徴のような市長、
後妻の気持ちを考えることができずに、ただ自分の不満をわめき散らす息子。
それらのあまりな軽さと比較して、
ここにある虚無は、寂れた海岸の荒涼とした風景のようにとても深い。

英語のタイトルは「リヴァイアサン」。
旧約聖書に出てくる怪物のことであり、
国家をその怪物にたとえたホッブスの著書のタイトルでもある。
しかし邦題は、ちょっとひどい。
「裁かれる」って、映画はそんなことひとつも語っていない。
そんなことは邦題をつけた人の主観にすぎないし、そのことによって、
映画を見る人にいらぬ先入観を持たせることになる。
センスの問題ではなく、最悪の邦題かと。

現に筆者は、この邦題によって、しばらく本作を見る気になれなかった。