フランシス・ハ

2012年 アメリカ映画

監督:ノア・バームバック

 

※ネタバレ有り

ああ、こういう女の人っているよねえ、というのが第一印象。
一生懸命なんだけど、不器用でおっちょこちょい。いつもドタバタ走っている。
元気だけはよくって、声もでかい。そのくせ繊細な所もあって、プライドも高いし、くよくよ悩んでたりもする。天然なようでいて実は計算もしている。
まあでも、全体的には、おおざっぱでがさつ。計算しているようでその計算も結構いい加減だったりするのだ。
だから悩んではいても、引きずらない。つまり物事をつきつめて考えることが苦手ということなのだけれど、よく言えばポジティブといえなくもない。
勉強ができるタイプではないけれど、特定のことが得意で変に自信を持っていたりする。「わたし、将来は◎◎になろうと思うんだ」とちょっと変わった夢を周囲に語っては応援されつつも、実は心配されていたりする。微妙にずれているし、ちょっと間違えると痛い、そんなタイプ。
タレントでいうと、綾瀬はるかとかがイメージとしては、近いだろうか。
(いや、そこまで言ったら綾瀬はるかに悪いか?)

本作はそんなタイプの27歳の主人公フランシスが
自分の夢を追いかけて悪戦苦闘するという青春ストーリー。

舞台は、現代のニューヨーク。プロのダンサーを目指すフランシスは、女友達のソフィと一緒に暮らしている。今の彼女にとっては、男よりもソフィと一緒にいることが楽しい。だから、彼氏から一緒に住もうかと誘われても断ってしまう。

いい歳をして、公園でけんかごっこでじゃれっていたりする。
一緒のベッドで寝ているし、フランシスにとってソフィはなくてはならない存在。かなり依存している。しかし、依存しているのはフランシスだけだ。
ソフィは、フランシスが好きだし、遊びにつきあってはいるけれど、時には鬱陶しっかったりもする。ソフィは大人なのだ。
そんなソフィは、トライベッカで暮らすため契約を更新せずに出て行くという。
寝耳に水のフランシスは怒り、困惑する。さらに追い打ちをかけるように研究生として所属していたダンスカンパニーから、公演メンバーから外れたと言われる。
踏んだり蹴ったりだ。誰かと一緒に住もうと友人を当たるがうまくいかない。
やけになって、勢いでパリに2泊旅行にでかけたりするのだが、そのせいでさらにお金に困ることになり、知り合いの家を転々とすることに。
そしてカンパニーからは、ダンサーとしては雇えないと最後通告を受ける。
裏方として振り付けの勉強をするのはどうかと救済提案をうけるのだが、フランシスはそれをプライドがゆるさず断ってしまう。
そこで、お金にこまったフランシスは母校の大学で寮の管理人となる。
 
フランシスは、自分にダンスの才能がないということを認めることができない。
だから、なにもかもうまくいかないのだが、そのうまくいかないことを認めることも出来ない。つい、平気なふりをしてしまう。周りも気づかないし、自分も気づいていない。しかし、この映画はそこから破滅には向かわないし、虚無に陥ることもない。停滞はしないのだ。
 
フランシスが母校のチャリティイベントで給仕のアルバイトをしていると、そこに、ビジネスマンと婚約したソフィがチャリティをする側で訪れる。ばったり顔を会わせる二人。ばつの悪いのはフランシスのほうなのだが、ソフィは、フィアンセとの間に問題を抱え酔っている。そしてフィアンセとけんかし、夜中フランシスの部屋を訪れる。
悪酔いしたソフィは、そこで醜態をさらしつつも、昔のようにひとつのベッドで語り合う二人。楽しい時間が帰って来たようだ。
翌朝、ソフィは、眠るフランシスをおいて出て行く。フランシスはあわてて外に追いかけるが間に合わない。
おそらく彼女は、そこでソフィが昔のソフィではなく大人になってしまったことを知る。もう、昔の楽しい遊びの時間は失われたのだ、ということを本当に理解する。
 
フランシスは、カンパニーの提案を受け入れ
事務兼振り付けの見習いとして働き始める。
 
ラスト、彼女の振り付けでの公演が行われる。ユーモラスで独創的な振り付けだ。カンパニーの主宰者は絶賛する。そこにいるのは、大人になったフランシスだ。
そして、そんなフランシスをお祝いするようにかつての友人たちやソフィのすがたが見える。
 
27歳という設定が絶妙だ。フランシスのあせりとか、周りの微妙な視線の痛さとかが非常に共感できる。人は誰だって、勘違いしているものだし、それを乗り越えて大人になるしかないのだから。
 
フランシスを演じたのは、グレタ・ガーウィグ。彼女は、脚本にも関わっている。
この複雑なフランシスの気持ちを描けたのは、同年齢の彼女が脚本を書いていることによるのかもしれない。

全編、モノクロのお洒落な映像。途中、デビッド・ボウイのモダンラブをBGMにフランシスが街を走るシーンはレオス・カラックスの名作「汚れた血」へのオマージュ。
それ以外にも、いろんな映画へのオマージュがあるらしいのだが、残念ながら私にはそれしか分からなかった。

最後の最後で「フランシス・ハ」という不思議なタイトルの意味が明かされる。
それは、いろいろなものを受け入れることが出来るようになった、大人フランシスの決意表明だ。