女が眠る時

2016年 日本
 
※ネタバレ有り
 
西島秀俊演じる小説家、健二は、編集者の妻と伊豆のホテルに休暇に来ている。
2作目を書いてから、ずいぶんと時間がたち、なかなか次が書けない。
編集者の妻のアドバイスのようなものも気に障る。
ホテルのプールサイドで見かけたのは、年の離れたカップル。
親子のようには見えない。
何をしているのか分からない得たいのしれ無さを持った男、佐原と
まだ、若いのに妙にエロチックな少女。
そして健二は、だんだんとこの二人に囚われていく。
 
佐原が毎日撮影しているという少女の寝姿。
訳が分からずも、気になる健二。
健二の妻は、毎日平野という作家の別宅へと出かけていく。
いったい、何をしているのか。
そしていつしか、佐原とも親しげに話しをしている。
少女の昔の写真を飾っている居酒屋。
主人はいきなり、ストッキングとタイツの違いの話を始める。
少女は、雨の中、健二の車に乗り込んでくる。
そしてでかけては、また戻ってきて泣く。
自分を裏切った少女を殺害することを、匂わせる佐原。
そして少女は失踪する。
妻の帽子が見当たらない。それをなぜか佐原が知っている。
健二は、ホテルの部屋で、キーボードを打ち続ける。
 
この映画には、正解は存在しないのだろう。
いや、もちろん監督の中には正解があって、
ちゃんとしたロジックがあるのだろうが。
しかし、その正解をあえてぼかしている。
どうとでも解釈できる、断片の集合体。
 
妻が裏切っているのかもしれないし、そうでないかもしれない。
最後にあきらかになる妊娠は、健二の子供ではないかもしれない。
少女は、佐原が殺したのかもしれないし、ただ出て行っただけかもしれない。
あるいは、そんな全ては健二の妄想で小説の中の出来事かもしれない。
はたまた、全ては妻が仕組んだことかもしれない。
 
ジトっとしていて、熱っぽく、ゆっくりと、なまめかしく時間が動いていく。
どこか暑いところにある、リゾートホテルのけだるさ。
会話はいつも一方通行で、そばにいる人が
何を考えていているのか分からない不安と無気味さ。
だんだんと何が現実で何が妄想なのかがよく分からなくなってくる。
そんな、現実と妄想の狭間での、存在の危うさ、認識のゆらぎが、心地いい。
 
キャスティングでは、佐原を演じるビートたけし
教団の教祖とかフィクサーのような超越した無気味さは際立っているのだが、
それを上回るのがリリーフランキー
一見人当たりが良さそうなのに、すぐ裏側には得体の知れない怖さが
見え隠れするいやーな感じがすばらしい。
西島秀俊は、苦悩するいつもの西島秀俊だったが。
 
なにか、豊穣さと贅沢さを感じさせる映画でした。