サンドラの週末
2014年 ベルギー/フランス/イタリア
インヒアレント・ヴァイス
2014年 アメリカ
監督:ポール・トーマス・アンダーソン
出演:ホアキン・フェニックス他
※ネタバレあり
熱っぽくて、幸せな時代…だったんだろうか、70年代の西海岸は。
残念ながら、リアルタイムでは知らないが、
この映画には、その時代の空気感が充満している気がする。
(知らないので、あくまで気がするだけですが)
話は、70年代のロサンジェルスを舞台とした、
レイモンドチャンドラー風のハードボイルド・ミステリー。
ヒッピーの私立探偵のドクの前に現れた、かつての恋人シャスタ。
彼女は、不動産界の大物ミッキー・ウルフマンの情婦となっていて、
そのウルフマンを陥れる計画が進行しているので、助けて欲しい、という。
その翌日、ウルフマンは失踪し、同時にシャスタも失踪する。
その裏には「黄金の牙」という謎の組織の影が。
というところで、いかにもなミステリーは展開する。
登場するのは、なにかトラウマを抱えた市警の警部、組織のスパイとして働くサックス吹き、その妻の総入れ歯のジャンキー、いかがわしい店とそこではたらく女の子たち、ドクの相棒の船舶の保険の専門家、ドクのセフレの女性検事、
謎の歯科医師のエロ親父、そして、ジャンキーの女の子たち。
終始、ラリってる雰囲気の中、まともな人間は登場せず、話は、なかなか進まずに
登場人物は増え続け、話は迷走を続ける。
主人公のドクからして、ラリってばかりだし、
そもそも、その謎解きストーリーにどれほどの意味があるのか不明だ。
それでも、なんとなく謎解きは進行し、
失踪した元カノは、いきなりドクのもとに戻ってくるし、
最後には、黒幕と思われる人物とドクは対峙し、小さな解決を得る。
しかし、それで、物語的なカタルシスを得るわけでもなく
かといって闇の深さに絶望するわけでもない。
宙ぶらりんな状態におかれた気持ちは、宙ぶらりんなままで、
気持ちの落としどころを見つけるのが実にやっかいな映画なのだ。
それでも、この映画は面白い。
なにか豊かなものと出会ったという、感触を残す。
迷路のような、という感想が、一番この映画に相応しいだろうか。
そんな迷路をさまよう快感に溢れている。
出口がどこにあろうが、どうでもいいし、そもそも出口などないのかもしれない。
という本作、個人的には「3大ラリってる映画」にいれてあげてもいいように思う。ちなみに、残りの2本は、「スキャナー・ダークリー」と「バッド・ルーテナント」です。(どちらも名作)
トム・アット・ザ・ファーム
2013年 カナダ・フランス
アノマリサ
とまどいながらも、それを受け入れるリサ。
しかし、食事の席でリサが、食べ物を口にいれたまましゃべることが気になりだすマイケル。そして、それとともに、リサも同じ顔、同じ声に変貌してしまうのだ。
人生スイッチ
シン・ゴジラ
2016年 日本
監督:庵野秀明
出演:長谷川博己、石原さとみ 他
余計な物をそぎ落とした、シンプルな物語だ。
人智を超えた事象が起こり、それにどう対応するのか、それをリアルに追求している。ただ、シンプルなだけに、いろいろな解釈や楽しみ方が可能になる。
災害シミュレーションムービーだったり、政事劇だったり、
あるいは、ゴジラを神と考えるなら、その出現の意味だったり、
また、どこまで映画がリアルかというディテイルのこだわりだったり。
多層的な魅力にあふれている映画である。
初代ゴジラは、原爆の恐怖の象徴であった。
では今回のシン・ゴジラは、なにかといえば、3.11の象徴なのだろう。
3,11とは、人間の営みをあざ笑うかのような圧倒的な自然の力であり、
また原発事故という人災により、さらにその被害は増幅されるとともに
世界に対して加害者となる可能性も生まれた。
被害者のはずが、いつのまにか加害者になってしまうという二重性、
日本人が抱えてしまったその潜在的な恐怖がシン・ゴジラでも核となっている。
ただの被害者のはずが、いつのまにか世界を敵に回すことになる恐怖。
だから、この映画では、敵がころころと変わる。ゴジラから、米国、世界へと。
たとえば、ゴジラが火を噴くシーン。
米軍の高性能爆弾で血を流し、うずくまるゴジラ。
そこで、ゴジラはまるで嘔吐するように、火を吐く。
そして、その吐瀉された火は先鋭化し、ビームとなる。
ビームは、あらゆる物を破壊し、ゴジラは無敵の存在へと進化する。
ゴジラのビームは、怒りであり、なにかの衝動だ。
それは、誰の怒りなのか。
この辺の衝動の発露の描き方は、秀逸だ。庵野監督の面目躍如というところ。
ここだけをとれば、エヴァのよう、という評価もうなづける。
まあ、エヴァは、自虐とそれに対する怒りの衝動だけで成り立っているかのような話であるが。
しかし、このゴジラは、そこから自虐や絶望や破滅に陥ることはなく
きちんと物語として終息していく。エヴァとは違うのだ。
その終息のしかたは、かなりファンタジーで、
こんなに政府が機能するのなら、今の日本のていたらくもないだろうし
3,11の時の無様な対応もなかったろうと思うが
ドラマとして考えれば、かなり面白く観ることは出来たし
素直によくできたストーリーとほめるべきかもしれない。
いろいろな人が語っているのを目にするが、何かを語りたくなる映画という一事をとってしても、近年の日本映画には珍しいできばえであることは確かだ。
なんやかやいっても、日本人はゴジラ好きなんだろう。
スキャナー・ダークリー
2006年 アメリカ
監督:リチャード・リンクレイター
出演:キアヌ・リーブス
※ネタバレ有り
原作は、P.K.ディックの傑作小説。
ドラッグ中毒をテーマとした、痛々しくも切ない話。
昔、サンリオ文庫で読んだはずはのだが、
ストーリーはあまり覚えていない。
ただ、切なさだけが印象に残っている。
それの映画化ということで、きっと暗くて儺難な映画なんだろうなあと
思っていたのだが、意外と見やすい映画だった。
全編が、フォトショップでダスト&スクラッチをかけて
輪郭線をつけたような、つまり、半分アニメのような画面。
それによって、現実と幻覚との境界がより曖昧になると同時に、
ある種のカリカチュアというか、寓話的なニュアンスを帯びてくるので
よりシニカルさが際立ってくる。
だから、主人公に過剰に自己投影することなく普通に見ることができる。
そうでなければ、結構辛かったかも、とも思う。
ちゃんと撮影してから、加工しているのでかなり手間はかかったらしいが。
ストーリーは、麻薬の囮捜査を行う捜査官が主人公。
捜査対象の仲間になり関係するうちに彼自身もだんだんと中毒になり、自分を見失っていく。やがて目的がなんだったのか、自分自身が何者なのか、なにもかもが曖昧になるなかで、彼は脳に障害をきたし更生施設に入れられることになる。
しかし、それすらも、当局の計画であり、廃人にならないと潜入できない
更生施設での麻薬生産の陰謀を暴くための作戦だった。
つまり、彼は、自分でも知らされぬまま
廃人になることで囮となるという役割を負わされていたのだ。
組織の非人道的な論理という大きな流れの中で、翻弄され、そして自分を見失う主人公。しかし、そういう陰謀論よりも、ここにあるのは、もっとパーソナルで根源的なこと。社会の中で自分の存在を肯定できない主人公の苦悩だ。
そのどうしようもない苦悩ゆえに、ドラッグにはまり、そこから抜け出すことが出来ない。それが、わかっていてもどうすることのできない、ゆるやかな絶望。
それは、おそらくディック自身の絶望なのであろう。
という、とっても暗い話なのだが、物語の多くの部分は
ジャンキーたちのたわいもない、馬鹿な会話によって成り立っている。
一人が買ってきた18段変速の自転車のギアが、前に3つ後ろに6個の9つしかないじゃないか、おまえ、だまされたんじゃないのか、というくだりは、とってもばかばかしくて面白い。
ラストで、脳の機能を失い無垢な存在となった主人公が更生施設で描かれる。
晴れ渡った空の下、麻薬が栽培されている広大な畑の中で主人公は農作業に従事する。彼に悩みはない。その、おだやかな表情は救いかもしれないが、
自分を破壊しなければ得られない救いは、果たして救いなのだろうか。
エンディングで流れるのは、トム・ヨークの「ブラックスワン」。
あまりに、似合いすぎててびっくりするくらい。
主演のキアヌ・リーブスは、とてもよかった。