マジカル・ガール

2014年 スペイン
監督:カルロス・ベルムト
出演:バルバラ・レニー

※ネタバレ有り

謎の美女、バルバラを巡る物語である。
バルバラは、裕福な精神科医と結婚している。
しかし、彼女は少々心の問題を抱えているようだ。
情緒不安定、というようなレベルの。
そのせいで、夫の信頼を得られていない。

話しはさかのぼるが、
バルバラが中学生くらいの頃に数学の教師と問題があったようだ。
その数学の教師は、その後数年間刑務所に入ることになった。
おそらく、バルバラとの問題のせいで。
それが何かは、明らかにされない。
しかし数年間服役するくらいなのだから、
些細な話しではなかったのだろうと思う。
ただ、バルバラは、教師に対して厭な気持ちは持っていないようだ。
それどころか、信頼をしている風でもある。
デリケートな問題を相談出来る相手として。
しかし、教師の方は微妙だ。
バルバラに対して、悪いと思う一方で、
もう、あまり関わりたくないと思っている。
もしくは、関わったら、また歯止めがきかなくなると畏れているのかもしれない。
それは何の歯止めだろう?

その中で起こる事件。

余命幾ばくもない、日本アニメが好きな小さな少女の
たわいもない望みが、巡り巡ってバルバラへとつながっていく。

バルバラは、夫に内緒でお金を工面する必要に迫られ
かつて知り合いだった、コールガールの斡旋を生業としている女性に相談する。

どういう知り合いだったのかは分からないが、
バルバラがかつて、そういうビジネスに関わっていたらしいことはわかる。
それが、彼女の心の問題や、教師との問題に関わっているかは不明だ。

そして、バルバラは、1回限りでそういうアルバイトを行うことにする。
「挿入は無し」それが条件だ。
しかし、それ以外は何でもありということだろう。
それが何かは、分からないが。

ある館で、それは行われる。
車椅子に乗った、館の主が言う。
「人々は、なぜ闘牛に熱狂するのか」
理性と理性で無いものがせめぎ合う、それこそがよいのだと。
ここで、提供されることも、そういうものだと。

服を脱いだバルバラの体は傷痕だらけだ。
それもかなり古そうな。
つまり、バルバラがかつて関わっていたのは、
そういう類いのことだった、ということなのだろう。
そして、また、そういうことに手を染めようとしている。

しかし、1回で終わるはずだったそれは
想定外の出来事により、さらにエスカレートする。
工面する金額は増え、バルバラのアルバイトもさらに過激なものが要求される。

バルバラは、斡旋者の女性が真剣に止めるのも聞かず
その仕事を受けることにするのだ。

それらが、何なのかは一切描かれないが
そこから、教師も巻き込んで悲劇の連鎖が始まっていく。

ここには、描かれていることと描かれていないことがある。
むしろ、描かれていないことが、物語の推進力となっているようにも思う。
いくつかの断片とディテイルが作り出すイマジネイティブな世界。
映画的な、想像力を刺激する世界。
そして、完璧なプロットと完璧なバランス。
全くノーマークの映画だったが、傑作と思う。
最近のスペイン映画恐るべしだ。

騎士団長殺し

村上春樹 著
2017年 新潮社刊


村上春樹が描く苦悩とは、いったい何だろう。
主人公は、上品で知的で、どろくささというか
生きることにあがいている感じは全く感じさせない。
女の子にももてるし、才能もあり、物腰の全てがスマートだ。
でも、彼は、何かを失う。大切な何かを。
妻だったり、恋人だったり、妹だったり。
そして、その理由が分からない。
自分で、気づかぬ何かのために、大切な人を失うのだ。
失った原因は、彼にあるのに、彼はその理由が分からず途方に暮れる。

なにひとつ、悪いことをしたわけではないのに
大切な人は彼の元を去って行く。

村上春樹の苦悩とは、そんな不条理な恐怖だろうか。
自分では分からぬ理由によって、世界から拒絶される、という恐怖。

喪失というよりは、拒絶、という感覚。

自分には、何かが決定的に欠けていて
誰かを安心させ満足させることができないのではないかという不安。

彼が、クールであるのは、そういう不安に対する防御反応だろうか。
どうせ、拒絶されるなら、自分から拒絶するという過剰反応。

そして、彼の不安と不安定さは、何者かを呼び寄せる。不可思議な何かを。
その何かの中には、いいものもあり、闇としかいえないような悪いものもある。

その不可思議なものの導きにより、彼にはあるミッションが与えられる。
彼は闇と戦い、そのミッションを遂行することによって、
世界の手触りや確固とした確かさを、もう一度信ずることを思い出す。

そして、世界の拒絶という問題を乗り越えることに成功する。
それはしかし、彼が乗り越えたのか、それとも
彼ではない誰かのおかげで、乗り越えることができたのか。
よく分からないという疑問は残る。

ここに、描かれているのは、そんな物語だろうか?

豊かで非常に興味深いディテイルと、抽象的な苦悩と解決、そんな感じ。
村上春樹って、こんな感じだっけ、というのが率直な印象でした。
結構、いろいろ読んでるんだけど。

ちなみに、物語に登場する「白いスバルフォレスターの男」は
ツインピークス」のボブだよなあ、と想いながら読んでました。
村上春樹と、リンチって、何か似ている気がします。

わたしはロランス

2012年 カナダ・フランス
監督:グザヴィエ・ドラン
出演:メルヴィル・プポースザンヌ・クレマン

※ネタバレ有り

性同一性障害を抱えるロランスと
その彼女フレッドの、ラブストーリー。

一番印象に残ったのは、
フレッドと別れた後、ストーカーのようになっていたロランスが
許しを貰い、彼女の家を訪ねる場面、
その、本当にうれしそうなロランスの笑顔。

その笑顔に、ちょっと心を打たれた。

なんだろう、母親に100パーセントの信頼を感じている子供が
母親に見せるような、笑顔。
その笑顔が、あまりに無防備すぎて、逆に怖くなるようなそんな感じ。
ああ、大人なんだからそんな無防備な笑顔を見せちゃだめだろう、
といいたくなるような息苦しさ。

考えて見ると、ドランの映画は、すべてそんな息苦しさに満ちている気がする。
無防備に、100パーセントの愛情を求めることのせつなさと、それを失う恐怖。

そして、家を訪ねたロランスは、フレッドと久々に再会し、
盛り上がった二人は家を飛び出してしまう。
彼女には、夫も子供もいるのに。
しかし、二人の逃避行は長くは続かず、今の生活や家族を捨てることのできないフレッドと、結局はけんかをして、また別れてしまう。

 
それから、数年後、また二人は再会する。
フレッドは、既に夫と別れている。
しかし、ロランスの淡い期待とは裏腹に彼女はいう、
「そろそろ地上に降りてきたら」と。
ロランスは、それを聞き、本当に二人の関係が終わったことを知る。

という、大人な感じのビターな結末。
失うまでは恐怖だけど、失ってしまえば、それは既に過去のことだ。
せつないような、でも息苦しさからは解放されて、ほっとしたような。

ところで、この映画は、ロランスが性同一性障害を抱えて、
それをカミングアウトするところから、彼女との間に溝が生まれるという話だが、性同一性障害とゲイとどう違うのか、あまり理解していなかった。

ロランスの場合は、体は男性、心は女性だけど、女性が好きというタイプ
だったんでしょうね。

リップヴァンウィンクルの花嫁

2016年 日本
監督:岩井俊二
出演:黒木華綾野剛COCCO、りりぃ、他

※ネタバレ有り

黒木華が演じる主人公、皆川七海はずるい女だ。
自分の心を隠し、できるだけ本音は見せずに
事なかれで、何も責任をとることをせず、生きていこうとしている。

声が小さく、いかにも控えめで大人しい女性という佇まいなのだが、
別に控えめなのではなく、本音を隠しているだけだ。
困った時は、嘘もつくし、黙り込んで困った顔をする。
その場がやりすごせればOK 、という感じ。

そんな彼女はネットで、簡単に彼氏を手に入れる。
そして、あっという間に結婚ということになる。
七海的には、あれ、こんなに簡単でいいんだっけ?
でも、まあいっか、みたいな感じ。

しかし、天網恢々疎にして漏らさず、
神様は、そんないいかげんな彼女に試練を与える。

その役割を担うのは、トリックスターである自称何でも屋、安室だ。
綾野剛が演じている。

彼は、ある目的のため
別れさせ屋を使い、彼女を奸計にはめる。
結果、七海は、新婚早々浮気をしている嘘つき女というレッテルを貼られ
話し合いもできぬまま家を追い出され、一文無しになってしまう。

そして、安室は全てを失った彼女を助ける風を装い
七海を魔女の家にメイドとして送り込むのだ。

というところから、物語は本題である。

魔女は、COCCOが演じる、里中真白。AV女優だ。
(特に物語り上、魔女というわけではないが)
わがままで、エキセントリックで、危うくて、不安定で、
まあ、七海とは正反対。声もでかいし。
だけど、憎めない、不思議な魅力がある。

彼女と暮らす内に、七海は変わってくる。
自分の本音を隠そうとか、息を潜めて物事をやりすごそうとか
そういう鎧が剥がれ落ち、素の七海が現れてくる。

ふたりは、段々と本当の友情を感じるようになり、
そして、末期がんを患っている真白は七海を道連れに死ぬ、という計画を捨てる。

というのが、おおまかなあらすじ。
まあ、いってみれば、上っ面でしか人生を生きていなかった七海が
傷つき全てを失い、そこから本当の人生を手に入れるという、
再生と成長の物語であり、また、AV女優として身も心もボロボロになった真白の
魂の救済の物語でもあるのだろう。

ここにあるのは弱者の側に立とうとするやさしさみたいなもの。
しかし、何か岩井俊二の中だけで閉じた観念的な世界という印象もぬぐえない。

最後に、一人で死んだ真白のお骨を届けに七海と安室は母親を訪ねる。
そこで、娘を捨てたという母親の悲しみと向き合うことになるのだが
唯一そのシーンが、生々しく手触りがあり、心に響いた。

レヴェナント:蘇えりし者

2015年 アメリカ
監督:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトウ
出演:レオナルド・ディカプリオ

※ネタバレ有り

レオナルド・ディカプリオが、ようやくアカデミー賞をとった大作映画。
いろいろと、ツッコミどころはあるものの、
ここ最近観た映画の中では、がつんとくる重厚さでは一番かもしれない。
時間がたつと、じわじわっと来ます。

時代は、19世紀のアメリカ、
開拓民とインディアンとの戦争が起こっていた頃で
毛皮ハンターたちをインディアンが襲う。
そして、必死の逃避行となるのだが、
その途中で、ガイドのヒュー・グラスは熊に襲われ、瀕死の重傷を負う。
もうだめだと判断した隊長は、彼の最後を看取るために、彼の息子ともう二人の三人を残す。息子はインディアンとの混血だ。
その中の一人ジョンの裏切りにより、息子は殺されグラスは一人残される。
最愛の息子を殺されたグラスは、必死に這いつくばりながら、後を追う。

なので、本作は基本的には復讐譚ということになる。
また、壮絶なサバイバルストーリーでもある。

初秋のロッキーの大自然の中、
傷を火薬で焼き、川で魚を手づかみでとってはむさぼり食う。
インディアンに見つかり、逃れるために激流に飛び込む。
途中でフランス人の馬を盗み、逃げては谷に墜落する。
そして、馬の内臓をくりぬき暖をとる。
すべてが、痛く、壮絶なシーンの連続。それらは、また、荘厳に美しい。
這いながら移動するグラスの目線に合わせた低いカメラアングルが特徴的で
林に差す朝日の光、舞い散る雪、川の水流、すべてが至近距離に感じられる。

その美しく壮絶な光景に目を奪われている内に、
ややもするとストーリーを忘れそうになる。特に息子の復讐という一番基本的な骨格が、ああそうだったっけ、みたいな感じだ。
それはディカプリオの演技のせいもあるかもしれない。
これが、例えば、クリント・イーストウッドだったら(もちろん、もう少し若い頃の)、ケガをして動けなくとも目だけで、苦渋を表現できただろうし、
父親と息子との愛が心に沁みて、復讐ということがより強調されたのではないかと思うのだが、ディカプリオは、そうではない。あまり目で語るというような演技をしない。父性愛というよりは自分のことで、手一杯な印象が残る。
要は、あまり父親が似合わないのだが、かえってそのことにより
ドラマが排除され、人間の根源的な生存への意志がより明確になった気がする。

息子を失った喪失、というよりは、そんなことがあっても、必死に生きようとする人間の切実さや自然の理、みたいなもの。

この監督の作品を観るのは三作目だが、
前々作の「BIUTIFUL」にも通じる、独特な死生観というか人生観が印象に残る。

ラストで、おそらく昔亡くなったのであろう奥さんが出てくるのだが
なにか、死が身近にある感じ、そして静謐感のようなもの。
ネガティブなわけでも、あきらめているわけでもないのだが、
それでも死ぬのはしようが無い、みたいな。

その無常観というか潔さが、好きかもしれない。

サウルの息子

2015年 ハンガリー
監督;ネメシュ・ラースロー
出演:ルーリグ・ゲーザ

※ネタバレ有り

ゾンダーコマンドという、任務を与えられた囚人の視点で描いた
ナチスの収容所の物語。

ゾンダーコマンドの一人、
サウルはユダヤ人収容所で作業をしている。
ユダヤ人をシャワー室とだまして、ガスに送ったり
死体を片付けたり、彼らの荷物を分別したり、燃やしたり、埋めたり、
ステマチックに作業は進む。
昼夜を問わず、囚人を乗せたトラックはやってきて
ここでは、全てが効率を優先されている。

そのガス室で死んだ一人の子供が自分の子供であると思い込んだサウルが、その子にちゃんと祈りをあげて埋葬しようと奮闘するところから、物語は動き出す。

当然、ゾンダーコマンドとはいえ、そんな自由があるわけではなく
その中で、子供の死体を解剖医から貰い受ける手はずをつけ
祈祷してくれるラビを探してサウルはかけずり回る。

しかし、そのサウルの周りでは、囚人たちによる反乱計画らしきものが
進行しているらしく、緊迫感は増していく。

映画は、ほぼサウルの一人称視点で描かれている。
いわゆる、POVというわけではないのだが、
4:3の狭苦しい画面にサウルの顔や姿がアップで映され、
背景は、ごく一部しか映されない。
ほぼ全編にわたって、サウルが画面に映っていて
聞こえてくる会話も、サウルが聞いているものと同じだ。

なので、映画を観ている我々も、得られる情報は物語中のサウルと変わらない。
観客だからといって、神の視点を持つことはできない。

そのことによって、サウル同様に息苦しさを感じ、
断片的な情報に、耳をそばだてることになる。
そして、収容所の異常な空間をリアルに感じる。

やがて、反乱は起こり、
その中でもサウルは、息子を埋葬するために奮闘するのだが、
収容所から逃げ出す途中で、息子の遺体を川に流してしまう。

その子供の遺体が、果たして本当にサウルの息子なのか
判然としないまま、話は進むのだが
ラストのサウルの表情で、ああ、本当の息子じゃなかったんだと
気づかされる事になる。
その表情が、とても救いがなく、ちょっと怖いです。

カンヌでグランプリを取っているのだが、
この視点の新しさというか、尋常ではない緊迫感と息苦しさが評価されたのかと思うが、ナチスによるホロコーストは、まだ風化してないんだなと気づかされる。
気力が充実しているときに観る映画のように思います。

クリーピー ~偽りの隣人~

2016年 日本
監督:黒沢清
出演:西島秀俊竹内結子香川照之、他

クリーピー 偽りの隣人」という、

火曜サスペンスのようなやる気のないタイトルから、
サスペンス映画かなと思っていたのだが、
これが、まじホラーでした。しかも、かなり怖い。

なんといっても、香川照之につきますね。
西島秀俊竹内結子演じる高倉夫婦が転居してきた家の隣人、
西野として登場するのだが、まずその登場シーンがすごい。
 
二人で挨拶にいっても、いつも返事がない。
で、次の日の昼間、妻が一人で行くのだが、またも返事がない。
それで、しょうがなく、挨拶の品を門にかけて帰ろうとする。
すると、奥から、いきなり声がかかる。
「何ですか」
驚いた妻が「すいません。いないと思ったものですから。隣に越してきたので
そのご挨拶に・・・」
「いや、私は何ですかって訊いたんです」
「ああ、これですか、チョコレートです・・・」
「チョコレート?一粒千円もするようなものがあるらしいですね」
「いえ、そうじゃありませんけど」
「私、チョコレート嫌いじゃないですよ」・・・・・。

たしか、こんなやりとりの登場シーンなのだが、まず歩き方が、妙だ。
ひょこひょこと、ぎこちなく妙なリズムで歩く。
しゃべり方も、威圧的なのだが、なれなれしい。
そして、絶妙に会話になっていない。ずれているのだ。
この辺の気持ち悪さ、ここだけで、すでに相当怖い。
この人は天才なんじゃないだろうか。
尋常ではないサイコパス感が満載だ。
このシーンだけでも、この映画を観る価値がある気がする。

そして妻は西野に厭な感じをいだくのだが、
なんとなく、家にはいりこまれ、徐々に支配され
マインドコントロールされていく。

どうやって、支配されていくのかについては、実はあまり説明はない。
この人の映画は、たとえば「CURE」にしても、「回路」にしても
なぜ、というのはあまり説明されない。
ただ、現象として人が殺人鬼になったり、異界から何者かがやってきたりする。
その現象の周辺や不穏な雰囲気は周到に描かれるので、
観てる側としては、特に違和感もなく、納得する。
因果関係に踏み込まないことが、リアリティを生み出している。

本作も、西野の断片や、過去の事件の断片などによって
ああ、西野はなんらかの人を操る力を持っているのだと納得させられる。
そういう、ある種人智の及ばない存在としての西野が秀逸だ。

舞台となっているのは、東京都稲城市
このロケーションも、また絶妙だ。
都市でもなく田舎でもなく典型的な郊外なのだが、
きれいな分譲地でもなく団地でもない。
全く手入れされていない空き地や、廃材置き場と並んで普通な住宅があるような、荒廃と普通の生活が混在している世界は、サイコパスが潜んでいるに相応しい。

ラストはあっけなく唐突に、終わる。少々雑な感じだ。
しかし、その雑でバランスの悪い感じが、本作にふさわしいのかもしれない。
ただ個人的には、別に決着させなくても良かったんじゃないかという思いもある。
もっと、ぼんやりと終わっても。
でも、解決させなかったら、後味悪すぎだっただろうか。