ウィッチ

2015年 アメリ
監督:ロバート・エガース
出演:アニヤ・テイラー=ジョイ、他

※ネタバレあり

かなり昔、17世紀頃、
アメリカに移植したキリスト教徒の村で、ある一家が追放される。
理由はさだかではないが、雰囲気として分かるのは、
父親も母親も人付き合いが得意ではなく
ただ、宗教的な正論だけを振りかざし、他の村人に嫌われたのだろうということ。

一家は、父親と母親、子供が5人という7人家族。
人里離れた奥地で暮らすことになり、当然のことながら生活は苦しい。
これからやってくる冬を越せるかどうかも危うい。

そんななか、まだ赤ん坊のサムが、
長女のトマシンが子守りをしているときにいなくなってしまう。
狼が連れ去ったのだと、納得しようとするが
しかし、家族の心の奥底に何かがたまる。

一家は、神を信じ、敬虔であることだけが、心のよりどころだ。
キリスト教の教義に忠実に、お祈りはかかさず、
子供たちにもその教えを暗唱させる。

しかし、母親は短気でなにかとトマシンにつらくあたるし、
そんな妻にきちんとものが言えない父親。
父親は妻の大切にしていた銀のコップを無断で売ってしまい、
それを長女のせいだと妻が糾弾を始めたときに何の説明も弁護もしない。

敬虔であるからといって、善良なわけではない。
むしろ、信仰は何かを維持し支配するための手段となっているのかもしれない。

だから、そのずるさを悪魔につけ込まれる。

やがて、トマシンが魔女ではないかという疑念が生まれ、
トマシンは孤立し、息苦しさが全体を支配していく。

トマシンの唯一の味方だった弟が死ぬとともに、
家族のなにかが崩壊し、惨劇が起こる。
そして、トマシンは悪魔の側へと堕ちていく。

しかし、そこにあるのは絶望ではなく、解放だ。
悪魔の世界は官能的で美しく、
息苦しさから解放された喜びに満ちあふれている。

そして、観ている我々も、
トマシンが、解放されたことにほっとする。

本作に描かれるのは、ある種、正悪の逆転した世界なのだが、
悪魔の世界とは、少女の官能が解放された世界であり、生の喜びにあふれていて、
逆に信仰に支配された家族の世界は、全てが抑圧され、
偽りに満ちたまがいものの世界。
だから、自分の官能性を自覚した少女は、悪魔の世界、
つまり真実の世界へと旅立っていく。

ところで、このトマシン役の女優さんがなかなかいい。
逆境に耐えるかよわさ、というよりは強さや
その奥のファナティックなものが、ほのかに見える感じがいい。
冒頭近くで、赤ん坊に「いないいないばあ」をするシーンがあるのだが
そのシーンが、もう既に危うさを孕んでいて不穏だ。