たかが世界の終わり

2016年 カナダ・フランス
監督:グザヴィエ・ドラン
出演:ギャスパー・ウリエル、レア・セドゥ、他

※ネタバレ有り

なんやかや言いつつも、結局観てしまうドランの映画。
なんていうか、賞賛にせよ非難にせよ、なにか言いたくなる
心をかき乱す何かがあるんだろう、と思う。

さて、今回は、田舎に残って親の世話をみながら地味に頑張ってきた兄と、
早くに都会に出て成功をおさめた弟との壮絶な戦いの物語。

弟は12年ぶりに故郷の家に帰ってくる。
ゲイであり、劇作家?として成功をおさめているらしい。
なぜ、出て行ったのか、そして12年も帰ってこなかったのか、説明はない。
しかし、今回の帰郷はなにか病気に冒され、先行きが長くないことを
知ったためであるらしいことが、だんだん明らかになってくる。

しかし、兄はそれを拒絶する。
地味な仕事を頑張り、母親の面倒を見、妹の面倒を見、結婚もして
子供も二人作った兄としては、なにをいまさら、という気持ちだ。

彼を迎える家族。そこには高揚感があふれている。
久しぶりの息子を迎える母親の高揚、
成功者としての次男にあこがれを抱く末の妹の高揚。
はじめて弟に会う兄嫁、その高揚感がますます兄の気持ちを逆なでする。

だから、兄はなにかにつけ、皆につっかかり、イライラをぶつける。
兄嫁が、親しげに弟に話しかけようとするとあからさまに邪魔をする。
弟が退屈してるとか、意味不明な理由をこじつけながら。
妹が、弟をかつて暮らしていた昔の家に連れて行こうとすると文句を喚き、
その話しをつぶしてしまう。
そして、話しをしようとする弟を拒絶する。

映画の大部分は、この兄のイライラと、それに対する家族の反感や罵倒だ。

そして、午後のデザートタイム。
弟はいよいよ病気のことを告白しようとするのだが、
何かを感じた兄はそれをさえぎり弟に話しをさせず、強引に帰らせようとする。
妹と母親は、いきなり何をいいだすのかと兄に抗議し、
罵倒するのだが混乱は大きくなるだけだ。
しかし、あまりに強烈な拒絶にショックを受けた弟は
うちひしがれ、何も話すこともできずに帰っていく。

それは、死んでも弟に居場所なんか作らせるものか、という兄の決死の戦いだ。
悲劇の主人公として甘ったるい感傷をもって、
のこのことやってきた弟は、見事に返り討ちにあう、というそういう映画。
もともと、覚悟が違うのだから、勝敗は最初から決まっていたようなもの。
家族は、兄を罵倒するものの、兄の拒絶の意味を本能的に感じ取り
そして、結局は兄の横暴を許すことになる。
表面的には非難しながらも、心の奥底では兄をリスペクトしてしまう家族。
それは、イコール弟を拒絶することになるのだが、どうすることもできない。

こんな話は、日本だってどこだって転がっているし、
どの家族だって多かれ少なかれはある話。
でも、この映画が妙に心にひっかかるのは、兄の横暴さが常軌を逸して
心理的な暴力と圧迫感に満ちているからだろう。
それは観ている我々を落ち着かなくさせる。
本当にいらいらするのだけれど、つい観てしまう、そんな感じ。

「トムアットザファーム」もそうだったけど
この暴力的な横暴さによる支配、いいかえればそんな横暴さへの生理的な嫌悪は、
ドランの映画のひとつのキーワードなのだろうか。

まあしかし、誰かに共感できるということもなく、救いのない映画であった。