2017年 日本
監督:河瀬直美
出演:永瀬正敏水崎綾女

※ネタバレ有り


この映画は、映画監督河瀬直美が表現とはなにか、
ということをあらためてみつめたもの、という印象を受けた。

盲人用の映画のガイド音声シナリオを作るという仕事についた美佐子と、
そのモニターとしてシナリオ会議に参加する目に障害を負ったカメラマン。
二人の関係を通じ、表現とはなにか、なにをどこまで語るべきか
ということが突き詰められていく。
老夫婦の晩年を描いた映画のシナリオで、
美佐子の第一稿はモニターに参加した盲人たちから
押しつけがましい、説明しすぎて余韻に浸れないという批判を受ける。
特にラストシーンで、妻を失った老人が夕日を見つめるシーン、
美佐子は、その視線を「生きようとする意志にあふれている」と書く。
しかし、カメラマンは、「それは、美佐子の主観だ」と断ずる。
反発を感じながらも、納得する美佐子。

第二稿で、美佐子は大胆に省略したシナリオを提案する。
それは、盲人たちから、余韻があってとてもいいという評価を受ける。
しかし、カメラマンはいう。
「最初に観る人には不親切なのではないか」と。
その冷静な意見に、他の盲人も、ああそうかもしれないと、
既に映画に慣れすぎてニュートラルな判断ができていなかったことに気づく。
そして、問題のラストシーン。
美佐子の原稿は、「老人は夕日をみつめ、微動だにしない」というもの。
主観を交えない原稿になっている。
しかし、カメラマンはいう。なにかが足りない、「逃げている」と。

それに対し、こんどは美佐子は反発する。
「むしろ、それはカメラマンの想像力が不足しているではないか」と。
正直、見ている筆者も、悪く無いんじゃないかと感じたし、
これ以上、語ったら、語りすぎで余計なのではないかと思う。
だから、美佐子の反発や葛藤がリアルに感じられる。

このあたりのやりとりは、とてもスリリングだ。
ある方向に進んでいる会議が、誰かの冷静なひとことで変わってしまう瞬間。
忘れていたことにみんなが気づき、なごやかな空気が一変する瞬間。
自分が自信を持っていたことが否定され、
正しい判断が出来なくなる瞬間。

しかし、美佐子はカメラマンに対し反発すると同時に惹かれても行く。

カメラマンは、目がほとんど見えない今でも、なんとか写真を撮ろうとあがいている。彼にとって写真は、おそらく全てだ。だから、捨てることができない。
美佐子はそれを見て、彼に対する見方が変わっていく。

表現とはなにか、ということに答えはない。
ただ、ここには、表現するということに対して真摯であろうとあがく姿が描かれている。そして、真摯であろうと必死になったその先にしか、未来はない。

ラストで映画は完成し、映画館で上映される。
そして、ラストシーンのシナリオがどうなったかの答えが明かされる。
それは、想像を上回る素晴らしい答えだった。